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季刊誌―エルベテーク

2012年 夏季号 本はみんなの教室【30】 『フランクリン自伝』

勤勉、節約、誠実……そして、謙譲の気持ち

■紹介する本 『フランクリン自伝』(ベンジャミン・フランクリン作 渡邊 利雄訳/中公クラシックス)

 合理理的な姿勢で人生を切り拓いたアメリカ人の生涯と教えに触れましょう。

 歴史上にはさまざまな能力をもち、分野を超えて活躍した人物がいます。18世紀のアメリカに生きたフランクリンもそんな一人で、政治家で、外交官で、物理学者で、発明家で、ジャーナリストです。

 よく知られたエピソードに雷が鳴る嵐の中で凧を揚げて行った命がけの実験(避雷針の発明につながりました)がありますが、最近はそんなフランクリンの様子をイメージできない若い人もいるようです。

 自らの生涯を振り返った『フランクリン自伝』は、代表的な自伝文学として読み継がれてきました。

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 ベンジャミン・フランクリン(1706~1790年)は、アメリカ独立宣言の起草委員の一人でした。大統領にならなかったものの、その力量をもっていた政治家ではないかと思われますが、彼はろうそく・石鹸づくりの貧しい家に生まれました。恵まれない境遇をはね返すかのように、少年時代から時間を見つけては勉学に励み、独学と創意工夫と実行力で印刷工としての地歩を固めたのです。

 やがて、社会活動への参加や科学への関心を経て、アメリカ独立戦争(1775~1783年)に際して大きな活躍をすることになります。本国イギリスに対して植民地アメリカの地位を高め、その支配を脱するための闘いを、外交的な手腕を発揮しながら精力的に導きました。

 『フランクリン自伝』には、失敗を繰り返しながらも持ち前の勤勉さと誠実さと合理的な考え方によって少しずつ周りからの評価を集めていき、成功を勝ち取る様子が書き綴られていて、読者を飽きさせません(もちろん、自伝ですから多少の誇張や我田引水はあるかもしれません)。

 かつてのヨーロッパではその存在が当たり前だった階級や宗教にとらわれずに、自分の能力によって自らの人生をつくり上げていくフランクリンの姿が際立ちます。まさに「アメリカの父」です。

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 実は、『フランクリン自伝』は彼の生涯をすべてフォローしているわけではありません。84年の人生を生きた彼が多忙な生活の合間を縫って54歳の時とその13年後、さらにはその後にというように、何回かに分けて人生を振り返りながら筆をとったものです。いったん行方不明になったものの、その後発見されるという数奇な運命もたどっています。

 読みどころは多々ありますが、最も興味深いのは、やはり生まれ故郷のボストンを離れフィラデルフィアで印刷工(植字工も)としての生活を始めようとする少年時代や、印刷業を生業とし、文筆業にも手を染め始め、雇い主や仲間たちと格闘する青年時代の苦労が連続する前半部分です(第1部にあたります)。

 そして、前向きな姿を支えるのは、フランクリンの代名詞ともなった「勤勉」と「節約」です。

 「この私の物語全体をとおして、勤勉というこの美徳がどんなに有利に私のためになっていたかをみて、この美徳の効用を悟ってほしいと思って、このようにくわしく述べているのである」(143~144ページ)、「また私は休むことをせず働いていたため、自然と主人の目にとまるようになり、また私は植字が人並はずれて速かったため、一般に手間賃が高い急を要する仕事は、全部私が手がけることになった。

 こうして、私はじつに快適な日々を過ごしていたのだった」(107ページ)

 この頃のひとつのエピソードとして、朝食からビールを飲んでいた印刷所のほとんどの同僚に対し健康的で経済的な朝食をとるようにさせた改革も紹介されています。

 「私の分といっしょに隣の家から、ビール一パイントの値段、つまり一ペニー半で、胡椒をふりかけ、パン粉を入れて濃くしたうえに、バターをちょっぴり加えた熱い水粥を大きなどんぶりにいれてとどけてもらうようになった。こうした朝食は安くあがるだけでなく、味もよく、またあとで頭がぼんやりすることもなかった」(106ページ)という具合です。

 フランクリンの「勤勉」と「節約」の背後には、自分の人生からつかみ取った、現実を重視する合理主義が流れています。この精神がその後、よく知られる「十三の徳目」に結びつきます。

 「節制」「沈黙」「規律」「決断」「節約」「勤勉」「誠実」「正義」「中庸」「清潔」「平静」「純潔」「謙譲」の13個の項目を挙げ、その大切さを指摘しています。「頭が鈍るほど食べないこと。酔って浮かれだすほど飲まないこと」という戒律が補足的につけ加えられている「節制」の項目は、先ほど紹介した印刷所でのエピソードを思い出させます。

 ちなみに、「規律」の戒律は「自分の持ちものはすべて置くべき場所をきめておくこと。自分の仕事はそれぞれ時間をきめてやること」、「決断」の戒律は「やるべきことを実行する決心をすること。決心したことは必ず実行すること」、「平静」の戒律は「小さなこと、つまり、日常茶飯事や、避けがたい出来事で心を乱さないこと」となっています。

 「節約」と「勤勉」の戒律は次の通りです。

 「六、勤勉 時間をむだにしないこと。有益な仕事につねに従事すること。必要のない行為はすべて切りすてること」、「七、誠実 策略をもちいて人を傷つけないこと。悪意をもたず、公正な判断を下すこと。発言するさいも同様」(192ページ)

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 ところで、彼が「十三の徳目」の最後に「謙譲」を加えたのは意味があります。最初は念頭になかったようですが、どうしてもつけ加えなければならないと感じたようです。

 「まことに、人間が生まれもった感情のなかで、“思いあがり”ほど抑えがたいものはたぶんないのではないか。思いあがりというものは、どんなに偽りかくそうとしても、組み打ちして、思うぞんぶん殴りつけ、息の根をとめ、そして抑えつけておいても、依然、生きていて、ときどき顔をのぞかせたり、姿を現したりする。この物語のなかでも、おそらくそういった私の思いあがりが、たびたび姿をみせていることだろう。なぜかといえば、私は自分の思いあがりをたとえ完全に克服してしまったと考えることができたとしても、もしそうなれば、今度はおそらく自分の謙譲の美徳を自慢するという思いあがりをおかすことになるからだ」(208ページ)

 くどいほどの説明の中に、人間は自らの思いあがりをなかなかコントロールできないという痛切な反省がこめられているようです。

 フランクリンは、思い上がりの気持ちは言葉に現れる、とも指摘しているように感じられます。『フランクリン自伝』の最初の方にこんな文章があるからです。

 「そして、私は会話のもっとも大切な目的は、教えたり教えられたり、人を喜ばせたり説得したりすることであるから、人びとに必ず不愉快な思いをさせ、反感を引き起こし、そして言葉というものが、われわれ人間にあたえられた目的、つまり知識と楽しみをあたえたり受けとったりすることをすっかりだめにしてしまう、あの独断的で高飛車ないい方をして、善意と良識をそなえた人びとが、せっかく人のためになる自分の能力をそこなうことがないよう望んでやまないのである」(32ページ)

 「十三の徳目」は、「道徳」を「道徳」として素直に受け入れる習慣から隔たりつつある私たちの頭と体を掃除してくれるフィルターのような存在ではないかと感じます。

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 『フランクリン自伝』の中で紹介されている図書館設立の話も取り上げておきましょう。フランクリンは、アメリカで初めての公共図書館を設立した人物だからです。

  知識欲に飢えていたフランクリンは、当初、仲間同士で議論したり論文を発表したりする場をつくったのですが、それぞれの会員が自分の限られた蔵書に頼らなければならないという不便を解消するために、メンバーが蔵書を持合い、それを共同利用することを思いついたのでした。そして、より多くの人が読書に親しめるようにと、有料の会員制図書館設立へとたどり着いたのでした。そのアイデアと実行力には目を見張るものがあります。

 「わが国には、読書から人びとの興味をそらすような娯楽施設がまったくなかったので、人びとはますます読書に親しむようになり、数年のうちに、アメリカ人はほかの国の同じ階級の普通の人間に比べると、教養の面でも知識の面でもよりすぐれていると外国人の注意をひくまでになった」(183ページ)

 現代の私たちたちが「読書から人びとの興味をそらすような娯楽施設がたくさんあったので、人びとはますます読書に親しまなくなるようになり、ほかの国の普通の人間に比べると、教養の面でも知識の面でも外国人の注意をひかなくなった」という悲しい事態を迎えないようにしなければ、と感じます。

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 最後に、『フランクリン自伝』の中の含蓄のある言葉を紹介します。自省の言葉から“学習と努力”という私たちにとって身近なテーマも引き出せるように思われるからです。

 「私は自分が念願していた道徳的に完璧な域に達することはもちろん、その近くにいたることすらできなかったが、それでもなお、そうなろうと努力したことによって、なにもやらかった場合よりすぐれた、また幸福な人間になったと思っている。このことは、ちょうど印刷した手本を真似して完全な文字の書き方を覚えようとする人が、念願する手本どおりのすばらしい文字が書けなくとも、努力しただけ筆跡がよくなり、読みやすく美しく書いてあれば、相当みられる筆跡になるのと同じことなのだ」(202ページ)

 努力しながら丁寧に文字を書く練習は私たちの教室の光景とつながります。そしてて、「子どもだから……」と考えて曖昧に済ませるのではなく、「してはいけないこと」と「しなければならないこと」を子どもに伝え、理解させ、そのうえで大人の指示や手本にしたがって一つひとつ学習を重ねるように導く行為は、フランクリンが指摘するように「会話のもっとも大切な目的は、教えたり教えられたり、人を喜ばせたり説得したりすること」、つまり、周りと気持ちの良いコミュニケーションをとれる人間の成長につながるはずです。

 フランクリンの言葉は二百数十年前のものですが、いまの私たちにとっても大切な教えではないでしょうか。


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