2010年 夏季号 本はみんなの教室 『後世への最大遺物 デンマルク国の話』、『代表的日本人』
日本人に根づいている道徳観について
■紹介する本 『後世への最大遺物 デンマルク国の話』、『代表的日本人』 (内村鑑三著/岩波文庫)
学ぶ習慣がしっかりと根づいている、それが日本人の強さだと言われてきました。日本の知性を振り返り、私たちの日々の教訓に活かしましょう。
今年の夏の初めは、サッカーのワールドカップの話題で盛り上がっています。アフリカ大陸で最初の開催となる大会において、日本代表チームは当初の予想を翻してよく頑張り、立派な勝利をひとつものにしました。
さて、今大会で対戦することになったデンマークという国。ほぼ100年前に、このヨーロッパの小国に強い関心をもったキリスト教の思想家が日本にいました。今回は、その明治期の思想家、内村鑑三が著した2冊の古典的な本『後世への最大遺物 デンマルク国の話』と『代表的日本人』を取り上げ、物の見方・考え方について思索してみます。
内村鑑三は、システムとして出来上がった教会などの既存の組織には関心を示さず、聖書をいかに読むかに力を注ぐことによって自分の思想をつくった無教会派の宗教家です。かなり個性の強い人だったようですが、彼の書いた著作は日本の近代文学にもさまざまな影響を与えました。特に、西洋社会の産物であるキリスト教を日本の社会や環境、文化や伝統に合致したものにしようとした野心的な姿勢が、キリスト教の信者だけでなく、さまざまな人々の心を揺り動かしてきました。
「後世への最大遺物」「デンマルク国の話」はともに内村鑑三が実際に行った講演をまとめたもの。「デンマルク国の話」の「デンマルク」はデンマークのことです。この講演では、国土は狭く人口の少ないデンマークが高い見識をもち、それを国民一人ひとりが実践することによって富を得たエピソードが示されます。なぜ、彼らは豊かな生活を送っているのか。その秘密を解き明かしながら、現代の自然保護のテーマにもつながる先進的な事例が彼の口から語られていきます。
19世紀半ば、ドイツ、オーストリアとの戦争に負け、南部最良の地を割譲したことにより、デンマークは国の存亡の危機に直面しました。しかし、ピンチをチャンスに変えていきます。
「精神の光」がポイントだと内村鑑三は指摘します。その「精神の光」とは抽象的なものではなく、言葉と行為に基づく現実的なものだという点に注意を払う必要があります。キリスト教の精神に拠って勤勉さと誠実さを唱えたデンマーク人ひとりの工兵士官(エンリコ・ダルガス)が、不毛の土地を肥沃なものにするために水を通し、樹を植えるという一大事業を果敢に推進したのです。
「他人の失望するときに彼は失望しませんでした。彼は彼の国人が剣をもって失ったものを鋤(すき)をもって取り返さんとしました」(90ページ)
鋤とは樹を植えるという行為を意味しています。デンマークの自然環境に適した樹を少しずつ植林していく興味深い様子が紹介されますが、その中で、天候など、植林が多方面に及ぼす効果、特に国民が希望を取り戻した精神的な効果についても触れられています。
内村鑑三にとって自分たちの国を改造したデンマーク人たちの精神は賞賛に値するものでした。
「国は戦争に負けても亡びません。実に戦争に勝って亡びた国は歴史上けっして尠(すくな)くないのであります。国の興亡は戦争の勝敗によりません。その民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。否、その正反対が事実であります」(98ページ)
内村鑑三は自らの時代状況を頭に描いていると思われます。当時の日本は日清・日露戦争に勝ったものの、慢心の状態に陥っていたように彼の目には映ったからです。
「平素の修養」「善き宗教」「善き道徳」「善き精神」など、現代の私たちにとって気恥ずかしくなる言葉が並びますが、荒んだ気持ちが横行する現代だからこそ、それらのキーワードが生活の根本であり続けることを一人ひとりが静かに肯定してみたいものです。
「後世への最大遺物」では、次代への贈り物として何がふさわしいか、という哲学的な問いからスタートします。
「ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである、すなわち英語でいうMementoを残したいのである」(18ページ)という気持ちが色濃く漂っています。
博学な知識を駆使しながら熱く語る内村鑑三ですが、前半で彼は誰もが思い浮かべるであろう、金、事業、思想をとりあげます。もちろん、それらが大切なことは言うまでもない、しかし、それが不可能だとしたら…と、この講演は続きます。
さて、内村鑑三がじわりじわりと突き詰めていった先の最大遺物は何だったでしょうか。それは、「勇ましい高尚なる生涯」でした。不幸に直面しても、その不幸を乗り越えるために努力する生き方です。
イギリスの歴史家であるカーライルのエピソードがわかりやすく説明してくれます。何十年もかけてまとめあげた『革命史』という書物の原稿が出版直前に火事にあったカーライルでしたが、彼は自らの失望を乗り越え、再び書き直したのです。その精神の強さを内村鑑三は高く賞賛します。
「たといわれわれがイクラやりそこなってもイクラ不運にあっても、そのときに力を回復して、われわれの事業を捨ててはならぬ、勇気を起してふたたびそれに取りかからなければならぬ、という心を起してくれたことについて、カーライルは非常な遺物を遺してくれた人ではないか」(67ページ)
「勇ましい高尚なる生涯」。キリスト教徒として当然の最大遺物だと言えますが、内村鑑三が言いたかったことは、他人のせいにして行動を後回しにする、あるいは周りのことばかり気にして自分の考えを深めようとしない、そうした安易な姿を戒めることではなかったでしょうか。
内村鑑三は、『代表的日本人』という本も著しています。西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人という5人の歴史上の人物が紹介されていますが、もともと英文で書かれた本だけに、この本を通して日本の偉人を知ったという外国の知識人も多かったようです。その意味でも、日本人にとって重要な位置を占める本なのです。
この5人に共通するのは、過去の日本人が手本としてきた中国の『論語』をはじめとするさまざまな処世訓を自分たちの生活の中でも応用しようとした姿勢です。
たとえば、近江聖人といわれた中江藤樹を取り上げた章では「師」のあり方を伝えます。謙譲の徳を優先させ、他者のために善行を行う生き方を人々に広めることに力を注いだ中江藤樹。その生涯を紹介し、師の役割である「感化」について内村鑑三はこう述べています。
「現代の私どもは、『感化』を他に及ぼそうとして、太鼓を叩き、ラッパを鳴らし、新聞広告を用いるなど大騒ぎをしますが、真の感化とはなんであるか、この人物に学ぶがよろしいでしう」(139ページ)
まず自分が目立ちたい、まず自分が認められたい、まず自分が利益を得たい、まず自分の意見を優先させたいといった利己的な気持ちを抑制・コントロールすることの大切さが強調されているように感じられます。そのうえで、自分の言葉と行動に責任をもって事に対処する、それが日本人の変わらぬ美徳であると内村鑑三は言外に示しているのです。
明治維新の精神的な立役者であった西郷隆盛を取り上げた章ではこう書いています。
「不誠実とその肥大児である利己心は、人生の失敗の大きな理由であります」(41ページ)
覚えておきたい名文ではありませんか。
『後世への最大遺物 デンマルク国の話』『代表的日本人』ともにほぼ100年前にまとめられた書物とは思えない、非常に読みやすい表現になっています。そして、リズミカルな文章や、親近感に満ちていながらダイナミックな展開など、生き生きとしています。いまでも、彼の本から学ぶ学生や教師、ビジネスマンが後を絶たないのもわかるような気がします。一度、読んでみてはどうでしょうか。