2015年 冬季号 巻頭言 「学校」の存在について改めて考える
不登校をめぐる2つの考え方
もし、子どもが「どうしても学校に行きたくない」と登校を拒否した場合、大人はどのような対応をするでしょうか。学校などに相談すると、「無理に学校に来なくてもいい」「しばらく休んで様子をみましょう」などの助言が多いのではないかと思います。私たちは違います。「学校は行くべきところである」とまず考えます。そしてその考えにしたがって、「子どもはぐずって困らせるかもしれませんが、その状態に惑わされずに、なんとしてでも学校へ行かせてください。子ども自身で解決できない問題があるなら対応策を一緒に考えましょう」というアドバイスをします。なかには、いじめやからかい、学級崩壊などが原因の場合もあるでしょう。しかし、「その場から逃げてよい」と全面的に肯定するのではなく、周りの大人が知恵を出し合い対処することにより、子どもに対して「あなたにとって大切な学校だから行きなさい」と教え諭すべきではないでしょうか。いじめなど子どもたちの不適切な言動は大人の責任と経験と協力で改善に向けて対応すべきです。
以上の2つの考え方の底には、学校という存在についての認識の違いがあるように感じます。もし、学校は子どもに知識を提供する勉強の場、友だちとコミュニケーションをとる場という程度にとらえていれば、どうでしょうか? 学校の他にも学びの場や遊びの場がたくさんありますから、大人の口から「無理に行かせる必要はない」という言葉が出ても仕方ないと思います。 しかし、学校とは単にそうした存在でしょうか。
子どもにとってひとつの社会
それは違うと思います。ひと言でいえば、学校は子どもにとってひとつの小さな社会です。大人にとっての仕事の場に相当すると考えます。 学校には、自分の興味関心のある物事もあれば、そうでない物事もあります。自分の思い通りにならないことも多く、相性の良い友だちや先生もいれば、その逆の人たちもいます。子どもはその中でいろいろなことを知り、覚え、学び、これから始まる長い人生経験の備えをしているのです。 たとえば、社会のルールやマナーを覚え、身につける。周りのさまざまな人や物事と折り合いをつける。理不尽なことを言われてもまず自分で対処する。自分本位の気持ちや行動をコントロールする……。そうした練習を学習や学校生活の中で重ねているのです。社会人になれば、もっと厳しい現実が待ち構えているわけです。子どもはその準備しているのですから、その積み重ねはきわめて貴重なプロセスになります。 大人が学校を、子どもにとって大切な唯一無二の場所ととらえないから、「学校に行きたくない」と訴える子どもに対して安易な対応をし、その結果、不登校が深刻化する事態が発生しているのではないでしょうか。文部科学省の学校基本調査によると、年間30日以上欠席している小中学生は2013年度で約12万人(とくに中学3年生は学年全体の約3.5%に相当する3万8000人)いるとの報告ですが、実際の数はもっと多いだろうと推測されます。
不登校の芽は早く摘むことが大切
冒頭で示した2つの考え方にもうひとつ、対応策の相違、その実績の有無もあるように思われます。 つまり、学校という存在が大切であるとわかっても、あるいは「学校に行きなさい」と強く促したとしても、目の前で抵抗する子どもをじょうずに導く経験とノウハウ(不登校を解決する方法)が世の中には不足しているという事実です。ですから、「無理に学校へ行かせる必要はない」と言うしかない、そういうことではないでしょうか。それは、発達の遅れを抱える子どもを前にして、具体的な対応策を提示せずに「しばらく様子をみましょう」「遅れを個性として認めましょう」と話す専門家の姿とどこか共通しているように感じます。たしかに、登校をしばらく控えなければならないという判断、その原因をすぐに取り除くことを優先させなければならないケースはあるでしょう。しかし、「それではかわいそう」「子どもにストレスがたまる」といった対応だけで問題の解決は難しいでしょう。 小学校の低学年ならば、大人の側には子どもが少々いやがっても学校へ連れていく勇気が必要です。高学年や中学生の子どもには「いま、どうすべきか」を本人に気づかせるように導き、一歩を踏み出すように促すべきです。仮に不登校の気配がある場合には、朝、電話をかけたり家を訪問したりして登校を促すサポートが大切です。そのような対策をとっている数少ない学校では成果を挙げているわけですから。 とにかく不登校の芽は早く摘み、欠席をずるずると長引かせないことがポイントです。
「学校は大切な学びの場である」という位置づけを
実は、「20周年記念号」に際して卒業生の保護者からいただいた手紙の中に、不登校を考えるのに相応しいレポートがありました。この欄で紹介します。教室で学習を始めた頃は、できないことやわからないことがあると目を真っ赤にしてめそめそ泣いていた年少のSさんです。教室の生徒の中で2週間も欠席したのは彼女が初めてでした。小学校1年生の1学期です。学習の日、「実は……」というお母さまの話から、すでに学校を2週間欠席していることを知りました。当初、学校からの「無理をさせないでしばらく様子を見ましょう」とのアドバイスに従っていたのですが、このままでよいのか不安になり教室に相談したのです。そこで、私たちは本人に「学校に行きます」ときっぱり伝え、ご両親には「泣いていても連れて行ってください。そうでないと、大変なことになります」と話しました。翌日には彼女の不登校は改まりましたが、小学4年生になって再度、「ベッドから起き上がれない」と訴えるようになり、1週間欠席しました。この時にも迅速に対応し、事なきを得ました。 今回の相談は、お母さまの手紙に書かれている通りです。周りが適切な対応をし、「いま、すべきこと」を思い出させることによって子どもの弱い気持ち(意志)を自分で乗り越えさせることができます。たとえ一時、折れかかったとしても、すぐに気持ちや行動を立て直すことができるのです。 自分の力で修正できる、それは「学習」を通して身につけた力にほかなりません。
「大人の助言をすなおに受け入れ、応じられる子どもに育ったのがよかった」「子どもは対処法を知らないだけで、教えればわかってくれるのです」
教室に相談してこられた時のお母さまのこの言葉は不登校を考える時の参考になります。この力があれば子どもは自分の弱さを克服できるようになる、この力は家庭でも育てることができる、そう私たちは確信しています。
<Sさんのお母さまからの手紙>
娘は現在、通常級に通う5年生です。エルベテークでは年少10月から小4の8月までの約6年間お世話になりました。 エルベテークを退会して1年ちょっと経ちますが、先日、娘が学校に行きたがらなくなり、担任の先生から面談の申し出があったため、一度話を聞いてもらおうとエルベテークに電話をしてみることにしました。もう退会していたし、自分で対応しようかとも思ったのですが、自分たちでは気づかなかった点までアドバイスをいただき、心構えも改めて確認し直すことができたので、前もって相談して本当に良かったと思います。 担任との面談では「テスト中にわからなくなると椅子をガタガタし始めるので、本を読ませて落ち着かせている」とか「先生や友だちが教えようとしても聞いてくれない」「教えようとすると『私は馬鹿だから』と泣いてしまったことがある」などの話をされました。先生には娘を特別扱いせず、駄目なことは駄目と伝えてほしいとお願いしたのですが、先生の対応を聞いていると、娘は完全に「できない子」扱いを受けているな、と感じましたし、おそらく娘も周りの子どもたちもそのことを感じとっていたことでしょう。 エルベテークからのアドバイスを受けて、家庭でももう一度授業やテストの受け方を娘と確認し、学習にも力を入れるとともに、学校生活の話を引き出していろいろな対処法(こういう時はこうしたほうが良かったね、こういう言い方をするといいよ、など)を話すようにしています。娘は「ああ、そっか」と言って素直に聞いています。対処法を「知らない」だけで、教えればきちんと受け入れるのです。 その後、娘は少しずつ落ち着いてきています。まだ苦手なことにぶつかると気持ちが折れてしまいそうになりますが、改めるべき態度は改め、今やるべきことを考えるようにしています。「もう少し算数を頑張らなくちゃ」と意欲も戻ってきました。 エルベテークに通い始めた頃は意に反することがあると、大声でいつまでも泣き叫び、おうむ返し、独り言が多かった娘ですが、エルベテークの指導法により今ではほとんど改善されています。 今でも他の子より時間がかかることはたくさんあります。けれども根気よく時間をかければできるようになることもたくさんあります。それは、かかる時間の差はあれ、どんな子どもも、大人でも同じなのです。実際、2歳上の兄にも娘と同じように接し、私自身、それまであった育児の迷いがほとんどなくなりました。 これから先も困難にぶつかることは多いでしょう。でも娘には下を向かず、胸を張って生きていってほしいと思っています。ここまで頑張ってきたのは娘自身なのですから。そして、親として一緒に成長してこられたことに感謝しています。