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季刊誌―エルベテーク

2015年 秋季号 コラム2 子育て・教育の大きな流れにどう向き合うか

対照的な2つの潮流

 子育てや教育に関して対照的な考え方の本を読んでみました。そこからAとBという2つの流れをつかむことができるのではと思いました。 2人の学者がそれぞれ書いた本の内容を踏まえながら、その対照的な考え方・認識をA、Bとし、テーマごとにまとめてみました。

【不適切な行為について】

A行為の意味を考える

 子どもの不適切な言動についてなされた心理学者の指摘から紹介します。 ある母親が自宅の郵便箱の中にオモチャのピストルがあることを発見したそうです。子どもに問いつめると、友だちから盗んだものを隠しておいたとのこと。驚いて相談を受けに行った母親に対しその大学教授はこう説明するのです。子どもが盗んでまで自分のものにしたかった意味を親は考える必要がある、と。 別の本ではこうも書いています。不適切な言動を見つけた場合、大人は誰が悪いのかを考えるのではなく、何を意味しているのかを考え、意味を探ることのほうがはるかに建設的だ、なぜなら悪者探しをする態度から解放されるからだ、と。 要するに、不適切な言動を改めさせることよりも、行為の意味、原因を探る、理解してあげるのが親・大人のめざすべきことという考え方です。

B行為を改めさせる(無知と落ち着きのなさから抜け出させる)

 一方、ある教育者は、子どもという存在について、興奮しながら遊ぶ存在であり、それがエネルギーにつながるものの、心の中では自身の無知と落ち着きのなさから抜け出させてもらいたがっている、と述べます。子どもはみんな自分の幼少期から引っ張り出してほしいと思っている、とも。 こちらの考え方は、不適切な行為を改めさせることを優先するのが大人の役割である、という考え方です。この考え方に立てば、子どもの世界とはいえ、「盗む行為」自体が「してはいけないこと」だと教えるべきであるということになるでしょう。

【学校との関係について】

A不登校を早くもとに戻そうとしないほうがいい

 心理学者は不登校の背景についてこう説明します。「よい子」であることが自立を妨げ、そのあがきとして登校を拒んでいる、と。あるいは、不登校という現象を早くもとに戻そうとするのではなく、子どもの力に従いながら、本人と本人を取り巻く人々の中から変化や向上の方向が生じてくるのを助ける、それが大人の役割だ、と。
 さらには、不登校の子どもの周りの大人や教師にとって一番大切なことは、少しの遅れなど大丈夫という気持ちをもち、いつかはよくなるという希望を失わないことだ、と語ります。要するに、大人は不登校の子どもに通学するよう無理に促してはいけない、自然と回復するのを待つほうがいいという考え方とみられます。

B学校で確実に学ばせるように導く

 それに対し、教育者は学校の存在意義を重視し、こう言います。人間は学校以外の場所で多くを学べるが、確実に学ぶことができるのは学校だけである、なぜならそこは学ぶことを目的として組織されているからである、と。 彼の考え方によれば、独学で学ぶことはできるにしても、他者との協調的な性格や特性などはなかなかうまく育たず、かえって独善的な性格が身につきやすいので、学校は必要であるということになります。

【学習と指導について】

A遊びの中から個性的な動きが生まれる

 心理学者は、大人、特に教師は指導したり言い聞かせたりするのが好きすぎる、とも書いていますが、その説明によると、むしろ遊びの中から個性的な動きが生まれ、それが不登校においても問題の解決に結びつくということのようです。 幼児教育に関しては、幼児も無理をすれば、相当なことができる、しかし、それは後になって成長の妨害となることさえある、とも述べています。 要するに、心理学者なので当然といえますが、教育の意義に目を向けるよりもむしろ「心の問題」や遊びに重きを置いているようです。

B組織立って首尾一貫した教え方の手順と内容が必要

 教育者のほうは、ストレートに教育の意義を次のように重視します。 教師の指導の目標は、子どもが自身の成長を妨げているものから自発的に縁を切るように導いていくことである、と。また、子どもの教育において言葉の学習を疎かにしてはいけない。ぼんやりとした状態のものをはっきりと見分けることができるようになるのも、また自分の経験を細かく分析していけるようになるのも、言葉のお陰である。言葉を学ぶことは、思考することを学ぶことである、とも述べます。 この教育者が学習の手順にポイントを置いているのも特徴のひとつです。組織立って首尾一貫した教え方の手順と内容がなければ、効果的な学習(情報の受容)には結びつかない、という具合です。 また、遊びのような学習については、遊びによる教育は、そのゲームのような遊びが終われば、それっきりとなりやすく、さらに多くを知ろうとする学習の意欲は生まれにくい、と指摘します。

どちらを信頼するかは個々人の責任

 子育てや教育をめぐる2つの大きな潮流について紹介しました。Aの考え方は、40年近く前の1970年代後半から日本に登場してきた考え方です。その頃から社会の中で情緒的な「心の問題」に焦点をあてる傾向が強まってきたように感じられます。 いまや学校現場などでもよく耳にするようになった、「無理強いせずにストレスを与えない」「子どもに否定的な言葉を言ってはいけない」「遊びの中で学ばせる」「子どもがやりやすい環境をまず整えてあげよう」「個性を大切に」といったアドバイスの源流だといってもいいでしょう。 これに対し、教育者の考え方は、教育の現場で引き継がれてきた考え方で、学習や指導に信頼を寄せています。

選択と決断がもつ大きな意味

 このように、世の中には「子どものために」といいながら、子どもの見方や教え方について大きな2つの潮流が存在するということです。 皆さんはすでに気づかれていると思いますが、その選択・決断とそれに基づく取り組みがやがて子どもの成長・成熟にとって大きな差となって現れるにちがいない、そのように思います。


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