エルベテーク
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季刊誌―エルベテーク

2016年 夏季号 巻頭言 エルベテークで子どもたちはどのように教わってきたか(2)

「うすうす気づき始める」から「自発的にコントロールするようになる」まで

世の中のルールや常識を学ぼうと努力する
 前号(春季号)から巻頭言では、「エルベテークで子どもたちはどのように教わってきたか」を3回シリーズで掲載中です。かつて教室で学び、現在は後輩たちの指導に携わっている春野くん(早稲田大学 3年生)の事例から、具体的な体験や意見を紹介しています。
ご承知のように、教室では、保護者の皆さまと協力して「子どもの課題を改善する」という強い思いで指導に取り組んでいます。そして、この思いを汲み取って、「僕も頑張ろう」「私も努力しよう」と子ども自身が自覚した時点から子どもはさらに大きく成長すると確信しています。言うまでもないことですが、鍵を握るのは本人の努力です。 春野くんの場合も同様でした。今年3月に実施した懇談会で参加された保護者に向かって、次のように語った彼の言葉が忘れられません。 力をつけてくるにつれて、自分が社会に合わせていかなければならないと思うようになりました。あてがわれたものではなく、自分の力で人生を切り開きたい。そのためには、自分の足りない部分は努力して身につける。本当に苦手なものは勘弁してもらいたいですが、それ以外は努力しようと考えるようになりました。 自分の修正すべき課題に気づき、それを改めようと努力し始めた小学校中学年の頃の気持ちを要約した言葉です。 いつまでも自分の苦手な部分を言い訳にするわけにはいかない。大人になって社会の中で生きていくためには世の中のルールや常識をきちんと学ばなければならない。そして、できるところから努力し、自分の手で世界を切り開いていこう……。そんな当たり前のことを彼は子どもなりに悟ったのだと思います。 いま、発達の遅れに対して「ハンディをわかってあげる。無理をさせない」というアドバイスがいかに多くの人から支持されていることでしょうか。しかし、そんな言葉だけで済むのならば誰も苦労などしません。関係者の気休めにはなっても本人や家族の先々の見通しが立つようにはなりません。 彼の言葉にある「自分の足りない部分は努力して身につける」という前向きな意志を育てることが成長の核心だと言えるのではないでしょうか。

成長を客観的に感じ取る
 こうして、「してはいけないこと」と「しなければならないこと」を教わりながら自発的に自分の言動をコントロールするようになった彼が、小学校時代の多動について次のように話してくれました。 窪みを見ると、入りたいという気持ちになりましたし、いろんな人がいる場所だと、興奮してしまいました。緊張するとすぐ体が動いたり飛び跳ねてしまうんです。当時のことを覚えているわけではなくて、小学校の時にそういう状態になったから覚えています。『誤解だらけの「発達障害」』でも、動いているものが気になり、小学校の校庭ではためく旗をずっと見ていたエピソードを紹介しました。大切な点はその後の成長です。やがて、同じように不適切な言動をする友だちの姿を冷静に見られるまでに変わりました。小3か小4の頃、学校の先生に対する他の生徒の態度とか勉強の姿勢とかが、言い方が悪いですけれど、「明らかに自分よりも下だな」と客観的に感じ取れたことを覚えています。たとえば、先生の話をしっかり聞いているか、暴言を吐いていないか、先生に対してお願い事をする時に、「先生、教えてぇー」などと言うタメ口になる、授業態度としては後ろのほうを見たり、しゃべってしまうなど、周りにはそういう子が多かったのです。もちろん、彼も不適切な言動に気持ちが傾いたときがあったはずですが、それでも授業中は先生のほうを見て先生の話を静かに聞こうと努力するようになったのです。

「だんだん父親や母親のほうが先に変わった」
 言うまでもなく、前向きな意志は時間の経過とともに自然に生まれるといった類いのものではありません。やはり、親と子の意識的な相互作用によって生まれるのではないでしょうか。 家庭での親の働きかけについて彼から示唆に富む指摘がありました。エルベテークに入る前は、なにか言われたとしても僕がぐずるとか癇癪を起こすと、なんとなくあやふやなまま物事が終わってしまうことが多かったのですが、エルベテークに通っていて、だんだん父親や母親のほうが先に変わったという感じでした。ぐずっても通用しないぞ、とエルベテークの先生のような、ダメなものはダメ、いいものはいい、というようなちゃんと線引きを行なってくれるような母親、父親になった。それは子どもの視点から言うと、とても嫌な(笑)父親、母親なんですけれども、振り返ると、悪いこと良いことをしっかり線引きしてくれるようになった父、母は本当に良い存在だと今では確信していますし、それは子どもを育てるうえで大切なことなのではないかなと思いました。 なんとなくあやふやな状態で終わっていた親子の関係が、まず先に親が変わり、子どもはそれに引っ張られるように変わっていく、そんな彼の指摘は教育や指導の本質を突いていると感じました。 以前(季刊誌2005年秋季号)、お母さまにこのように書いてもらいました。 エルベに通い始めた当初、私はハードルの高い課題に「無理だ」と何度も思いました。それは課題に対してではなく、「この子には難しい」と知らず知らずのうちに限界を設けていた自分自身があったと恥ずかしく思います。できないことに対し、エルベの先生方から「『あなたにはできる』と信じる声が子供に響くのだ」と教えられました。 「この子にはきっとできる」と思うか「できるわけがない」と諦めるか、その差は言葉以上に大きいのではないでしょうか。

不適切な言動を我慢できる子どもへ
 彼の場合、学校の早退をめぐって親と衝突したエピソードもひとつの転機になったようです。彼は小学2年生になると、学校へ行くのが嫌になり、時には仮病を使って授業をさぼり、家に帰ってしまうようになりました。その時、一番先に叱ったのは彼のお母さんでした。母親は「学校は行くんだよ」みたいな、珍しく普通の怒り方をしました。裏側には「学校に行ってほしい」という親としての願いがこめられていた気がします。たぶん僕も無意識に感じていたんじゃないかなと思います。当時、私たちが彼のお母さんから早退するという話を伺った際には、「なんとしてでも学校へ行かせるようにしてください」とアドバイスを送ったことが思い出されます。「おそらくその時、お母さんは『学校は行くべきところです。あなたはなにをしているんですか』という言い方をされたんだと思いますよ。そして、あなた自身も『そうか』という気持ちになってまた学校へ通うようになったのではないでしょうか」とこちらから現在の彼に水を向けてみました。すると、彼は「いまは記憶から消えてしまっていますが、絶対そのやりとりがあったでしょうね」と返事しました。いずれにしても、学校の早退をめぐるやりとりも彼を大きく変えました。 「学校に行きたくない」という、みんなが思うことを実際にやらずに、我慢する能力を小学2年生の終わり頃には手に入れられたのかな、と思います。

親子で取り組んだ学習の記憶
家庭では、「先に変わった」親によって家庭学習が続けられました。特に、お母さんが「この子を伸ばそう」「できるようにさせたい」「わかるようにしたい」という強い気持ちを持って粘り強く教えるようになったのです。 発音は、エルベテークでの練習と、あと家でしてもらった親の努力、この2点ですね。親がけっこういろんなところで話す機会を設けてくれました。たとえば誰かと会った時に、「あいさつしなさい、あなた」と言われてあいさつしたり……。練習の機会を多くつくってくれたことが大きいのかな、と思います。 家では、彼は毎日最低でも1時間は勉強したそうです。 宿題は母親が丸つけをしていました。間違えた漢字は夕食のあとや寝る前、次の朝登校する前に裏白の紙に書かせられました。時間を見つけては母親が反復練習させていたと思います。 彼は形をとらえるのが苦手で、字形が乱れることがよくありました。ですから、お母さんは何回も書き直しを命じたことだろうと推測します。そのせいか、漢字検定を受けるなど、積極的な姿勢も育っていきました。親子で取り組んだ学習の記憶はいまでも彼の頭の中に残っているとのことです。手ごたえ、自信、見通し ところで、彼がエルベテークで特に徹底していたと感じていたものはなんだったのでしょうか? あえて質問してみると、彼は九九の学習(暗唱)を真っ先に挙げました。 口頭でひとつの段を10秒以内で言う練習を、小1の後半あたりから小2の前期まで10カ月くらいずっとやりました。発音は不明瞭であっても妥協しないという感じで九九の練習をやっていただいた気がします。計算が本当に速くなりました。 発音の練習に九九を利用したのには、理由があります。学校のかけ算の授業にすんなり入れるだけではなく、必ずある暗唱テストで先生やクラスメイトの見守るなか、一番で合格させ、彼の努力をみんなに認めてもらい、自信をもってほしいというのが私たちの狙いでした。 学習を通して気持ちに少しずつ余裕が生まれたのは間違いありませんが、それはいつ頃だったでしょうか? 「小学3年生の時」というのが彼の答えです。 それまでは勉強することが無限に続くような作業だったんですが、自分で課題をこなせるようになったり、やってはいけないことをやらないことによって物事がスムーズに運ぶようになると、勉強は無限なものではなく、やれば終わるものだということがわかってきて、終わりが見えるとすごく安心して気が楽になったのかなと思います。 学習に取り組む際、彼はまた「宿題は毎日これだけやれば大丈夫、これをずっとやっていけば1週間で終わる……」と感じていたそうです。何が起きるかわからないと不安だらけの状態だったのが、手ごたえと自信と見通しを持つように変わりました。


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