2016年 秋季号 子どもにとって漢字学習の目的とは
文化審議会漢字小委員会の指針について思うこと
漢字の書きかたを学ぶことには、子どもにとって大事な学習の目的があります。一般に考えられている以上の大きな効果をもつ事実に触れたいと思います。
先日、文化庁文化審議会漢字小委員会の指針に関するニュースが流れました。常用漢字の字形の違いを許容しようという内容の指針案が国語分科会に報告され、近いうちに指針として周知されるとのことです。 文字の骨格となる字体の違いがなければ、「とめ」「はね」「はらい」など細部の字形はどれが正しくどれが誤りであると判断できない、といった指針案の考え方が説明されています。 このニュースに触れた方のなかには、「細かなことをあまり気にしないほうがいい。結局、読めればいいんだから」と受け止めた方がいたかもしれません。たしかに、大人の世界ならその通りです。書類や手紙の手書き文字の「とめ」や「はね」などが正しくなくても、ほとんど支障はないでしょう。大人の世界では周りの寛容さと臨機応変な対応で済ませられる事柄です。ところが、子ども(特に小学生)の教育の中でとなると、事情は異なります。漢字を教え学ぶという行為の本質に関わるからです。
字形は決まりごと
小学校低学年期の子どもの教育にとって字形とはどのような意味をもつでしょうか? 実は、字形の違いや筆順を子どもが学ぶこと、これが教育や学習の大切なポイントになります。大人は子どもに基本の型を手本として示す、子どもはその手本から字形の細かな違いや筆順を知り、模倣し、教わる、こうした一連の行為の繰り返しによって漢字の読み書きを習得していきます。漢字の読み書きの練習には学ぶこと自体の基本があると言ってもいいのです。それはひとつの決まりごとです。たとえば、きちんとあいさつをする、学校の廊下は走らない、授業中は先生の方を向いて話を聞く、などと同じような学習上の基本的なルールだと言えます。この決まりごとを疎かにせず最後まで守り通す練習を繰り返すことによって、子どもはやがて自身の学習力を高めることにつなげられるのです。その意味で、社会人教育にたとえられると思います。あなたの会社に「自分の好きなように仕事をやらせてほしい」と訴える新入社員、あるいは「堅苦しいことは言わない。君の好きなようにやったらいいよ」と応える先輩社員がいたらどうでしょうか。仕事の基本を身につけられない、コミュニケーションが成り立たない、共同作業が進まない、相手の立場に立って物事を考えるという視点が育たない、社内の秩序が乱れる、そんな事態にきっとなるでしょう。
身近で効果的な方法
手本の字形をしっかり見て模倣できず、また筆順を守らないという態度では、基本が身につかずに、自分勝手なとらえ方、書き方になってしまいがちです。そこから、自分の関心のないものや新しいことを学び、手順を覚えていくという姿勢はなかなか育たないでしょう。また、日常生活においても、自分本位になり、社会のルールや約束事を思い出し守ることも難しくなるかもしれません。ですから、大人は早くそれを改めさせる努力・工夫をするべきです。発達上の課題(言葉・認識・行動面での遅れ)のある子どもたちも、文字(ひらがな、カタカナ、漢字)の形や手順の摸倣、読み書き(読み合わせ、作文など)、そして、たし算、ひき算、九九、かけ算、わり算などの練習を積み重ねるにつれ、ほとんどの子どもたちが学ぶ姿勢を身につけ、少しずつ自身の言動をコントロールするようになります。このように、文字をはじめとした練習は、細かなところまで観察する力、やりとげる力を身につけさせ、自信をつけさせるうえでもっとも身近で効果的な方法なのです。「字形の細かな違いは誤りではない」という考え方が子どもの初期教育でこれ以上広がれば、大切な基本の型はどこかへ行ってしまう恐れがあります。教える側の立場や役割、責任、工夫、努力といったものもうやむやになりかねません。教育現場に深刻な混乱が生じることは必至です。
大人こそ軸がぶれてはいけない
「とめ」「はね」「はらい」は漢字の基本形です。小学校の低学年時に教えるべき基本形があいまいな状態は、教える側と教わる側双方に戸惑いを生じさせます。もし、「いろいろな書き方がある」と考え、「好きなように書いていいよ」と指示するなら、それは子どもにとってどんなに可愛そうなことでしょうか。教育関係者全体で、漢字学習の目的をもう一度考える必要があると思います。 背景には、「子どもたちに身につけさせるべきルール・決まりごとなどが少しずつなくなることが、学力低下につながっている」と認識されていない教育上の深刻な問題があるのではないでしょうか。8ページで紹介した『開智学校の生徒心得』や島木赤彦の『新校訓』を謙虚に見直したいものです。