エルベテーク
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指導事例

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Nさん 小学6年生(小1の2月入会 自閉スペクトラム症)

特別支援学級から普通学級で
学べるようになった息子の成長

 自分が求める教育法を見つけるまでにはずいぶん時間がかかりました。今回、感想文を依頼された機会に、エルベテークに出会うまでの道のりを振り返ってみました。
 幼い頃の息子はよく笑う可愛い子で、0才から保育所に通って、他の子と成長の差はそんなに感じませんでした。ただ、「バイバイ」を覚えた時、「逆さバイバイ」つまり手の甲を相手のほうに見せて手を振っていました。
 年中のある日、保育所の所長先生に呼ばれ、「○○くんは他のお子さんと様子が違うので、専門の病院で一度診てもらってはいかがですか?」と打診されました。その時、担当の先生のレポートを見せてもらったのですが、「わざとよだれをたらす」「他の子と一緒に体操やダンスができない」など、家ではわからない園での様子を聞いてとてもショックでした。
 所長先生の話をどうしても受け入れられず、近所のかかりつけの小児科で相談すると、「その病院はよほどの子が行く所ですよ。そんなに気にしなくてもよいのでは?」と言われたのですが、やはり心配で私の両親に相談すると、自閉症児に関する本を買ってきてくれたので何冊か読んでみました。すると、確かに逆さバイバイやグループ行動が出来ない、こだわりが強いなど、思い起こせば、当てはまる特徴的な言動が多いのでした。また、保育所からの帰りに、決まったお店に寄らないと必ず大泣きすることを思い出し、そういう行動もこだわりのひとつなのかもと愕然としました。
 いたたまれなくなった私は自閉症を専門とする医師のいる医療センターを受診することにしました。すると、医師は息子の様子を見て私の話を聞くとすぐに、「自閉症スペクトラムです」と診断されました。実際に医師の口から「自閉症」と告げられたのは初めてで、ほんとうにきつかったです。
 そして、療育センターを紹介してもらい、週1 回通うことになりました。1 時間ほど先生とパズルやゲーム、体操などをして過ごします。私の目にはただ遊んでいるだけのようで、これで子どもが成長するのだろうかと不安になりました。また、その他にも小学校に併設された療育施設や病院内の施設でも療育を受けましたが、ほとんど同じような内容でした。
 小学校に入学する年の1月、教育委員会より呼び出しがありました。息子と一緒に伺うと、療育でお世話になった先生方もいらして、「支援学級に行かれてはいかがですか。もちろん決めるのは親ですが」と話されました。その時の私は、「息子にとって幸せな道は支援学級を選ぶことなのだ。この子の発達に合わせて勉強できる場を与えてあげることが大切だ」と思っていたので、その決定を受け入れました。
 そのような考えが私の中に生まれたのは、療育と同時期に行っていた病院の保護者ミーティングで意見や話を聞いていたからでした。自分と同じように発達が遅れた子を持つ親が集まり、悩みや作業療法などを話し合ったり、勉強していました。そこでは、「子どもがやりたいことに親も一緒に参加する」、「ダメと言わないで、子どものやりたい事をやらせてあげる」といった子ども本位に接する考えが主流でした。周りのお母さんと話す中で、あきらめのような気持ちだったのかもしれません。

「この子の将来を考えられるのは私しかいない」

 こうして小学校は支援学級でのスタートになりました。これから先、特別支援学校に進むと高卒の資格は取れないかもしれないなどと悩みました。また、授業が始まると支援学級の先生は毎日連絡帳をしっかり書いてくれる良い方でしたが、1年生の時の目標が自分の名前を漢字で書くことで、無理に勉強をさせることはしませんと仰ってました。
 しかし、それでは、ノートやメモを取る、先生の話を聞くという基本的な姿勢が身につかないまま大きくなってしまうのではと心配になりました。そして心配していた通り、出来ないことはそのままになり、国語のノートには文字ではなく、1マス1マスに黒い点をずっと書いていて、算数は足し算も習わずに1学期が終わり、私の不安はますます大きくなりました。このまま大人になったらどうやって生きていくんだろう。私は確実に先に死んでしまうのに。社会はこの子に合わせてはくれない。分かってくれなんて、そんなに世間は甘くないのは目に見えています。
 私は仕事をしながらなので、通信添削をやってみたり、夜や休みの日に勉強をみてやりましたが、どうやって教えればいいのか分からないのでした。病院でも保護者ミーティングでも、学校でもその解決策は見つかりません。どうしたらよいのか分からないけれど、この子の将来を考えられるのは私しかいない。自分で教える方法はないかと本を探しに図書館に行きました。自閉症に関するコーナーを見つけ、どうやってこの子に勉強を教えてあげればいいか、いろいろ読んでみました。
 そこでエルベテークの本『発達の遅れが気になる子どもの教え方』に出会ったのです。今まで、「無理はさせない」、「日常生活で支度が出来るようにするには?」、「気が散らないように部屋を整えましょう」、「周りの理解を得るには?」などと子どもに合わせてあげる方法が書かれた本や記事しか目にしてこなかったので、「学ぶ姿勢を育てる」「話を聞く姿勢、指示に従う姿勢を育てていく」と大人主導、親主導の方法を示した本を見つけて、「これだ!」とすぐに思いました。
 ですが、次の壁に当たりました。資料を頂いて通いたいと思ったのですが、月謝と川口までの交通費(特急電車を利用して片道2 時間半かかるのです)が頭を悩ませました。余裕のない私には高い壁でした。でも、子どもの学費を貯めていても、このままでは使い道を失ってしまう。それならとにかく始めてみようと決心して小学1年の2月にエルベテークの門を叩きました。

子どもの変化が励みになった

 初めて河野先生にお会いした時、「できたら普通学級に入れてやりたい」と話すと、「支援学級から普通学級に簡単には変われませんよ」と話されたのを覚えています。
 週1回学習のペースで通うようになっても、教室に通っていることを学校の担任には言い出せませんでした。担任の教え方を否定しているように思われるような気がしたからです。正直、先生には頼れないけれど、親より一緒に過ごす時間が長い学校生活を楽しく過ごせるように、担任の先生との関係を良くしておこうと思っていました。毎日連絡帳で学校の様子を教えて下さったり、家での様子や相談事を書いてコミュニケーションを欠かしませんでした。
 毎週土曜に通い始めましたが、休日が一日つぶれてしまうので肉体的にきつかったです。でも、それ以上に少しずつ子どもに変化が現れてきた事が励みになりました。先生の話を聞くようになり、簡単な足し算引き算、足すと10になる数を勉強して、くり上がりくり下がりが出来るようになり、文字はひらがな、カタカナ、自分の名前を漢字で書いたり、読めるようになり、小学1 年生で出来なかったことがエルベテークに入ってからどんどん出来るようになってきました。
 また、きちんと挨拶できるようになり、学校でも挨拶が上手だねとほめられるようにもなりました。だんだん自信がついてきたのか、運動会のようないつもと違う雰囲気の中でも皆と一緒に参加することが出来るようになり、嫌なことはやらないといった甘えを見せなくなりました。そして、学校では普通学級で授業を受ける「交流授業」が増えてきました。
 3 年生の秋、河野先生から、息子を来年4 年生から普通学級に編入させてはどうかというお話がありました。ずっと望んでいたことではありましたし、「到底無理だ」と思っていたので話を聞いてとても嬉しかったです。それから教室と打合せをしたうえで、学校との話し合いを何度かさせていただきました。校長先生も交えて話をする機会を与えてもらった日のことです。校長室へ向かう時、支援学級担任の先生の声が聞こえてきました。「絶対に無理だ」と。
 息子のことだと分かっていましたが、聞こえなかったふりをして部屋に入り、今まで努力してきたこと、足りない部分は家庭学習とエルベテークで補うので学校に負担はかけないことなどを話しました。後日、教育委員会の知能テストのような試験と保護者の面接を受けました。そこでも支援学級が相当との判断が下りました。
 すると、本当に河野先生の言う通り普通学級に入れていいのか、学校との話し合いをする中で迷いが生じました。支援学級の担任の意見、教育委員会のテストの結果、友人知人に相談しても良い返事はありませんでした。そこで私は、もう1 年支援学級で様子を見るという結論を出して学校に伝えてしまいました。
 それを河野先生に伝えると、「○○君は普通学級で充分にやっていけます。4年生から普通学級に入れましょう」と強く諭されました。その時、私の中にも息子に対する「無理だという強い思い込み」があったことに気づきました。「親がぶれてはいけない」と、もう一度学校と話し合いをして普通学級に入れることを決めました。

学ぶ喜びを与えてあげる責任

 4 年生から普通学級に入り、最初の頃は大丈夫かなあと心配で仕方ありませんでした。幸い3年生のとき交流授業でお世話になっていた普通学級の担任が持ち上がりで続けて見てくださったので、連絡帳で毎日のようにやりとりをし、自分の不安はなるべく早く摘み取ろうと思いました。子どもが泣いていたり、落ち込んでいる様子が見られる時は良く話を聞いて、担任の先生にも連絡して詳しい状況を伺ったりして何事も早目に解決するように気をつけました。
 その後、5年生で担任の先生は変わりましたが、同じようによく連絡を取り、ささいな事でも相談しました。多少のトラブルはありましたが、良く見ていただいたと心から感謝しています。
 今年、息子は6年生になりました。テストでひどい点数を取ってきたり、授業のノートがあまり取れていないこともあります。よそのお子さんと比べれば、運動も苦手で何とかしなきゃと思うようなことは沢山あります。友達はいるのかな?と心配事をあげればキリがありません。それでも、毎日嫌がらず学校に通い、家でも真面目に勉強している息子を頼もしく思います。「ようやくスタートラインに立てたね」とほめてあげたいです。自閉症スペクトラム障害を背負って、マイナスからの出発でしたが、学ぶ喜びを与えてあげることをあきらめずにやってきて本当に良かったと心から思います。来年はいよいよ中学生です。まだ道半ばですが、もう大丈夫と思える時まで息子を宜しくお願いします。


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