Kさん 高校1年 (中学1年3月入会 自閉症とてんかん)
「学習でこんなに伸びるのだ」という確信
中学1年まで言葉が出なかった娘
娘は、生後8ヵ月で発症した「てんかん」の重い後遺症で、1歳半検診の時に言葉はなく、言葉の理解もまったくありませんでした。「発達遅滞」と診断され、2歳から療育施設へ毎日親子で通園しました。年長の1年間は保育園に通いましたが、言葉はもちろん、指さしもなく、とにかく1日中動き回り、思うようにいかないと大泣きしていました。でも、てんかん発作が止まらず、他府県へ治療方法を求めて出かけ、入退院を繰り返していた小さい頃の苦労を思えば、「元気なだけありがたい」と、私や主人は前向きに考え、いろいろな治療や訓練を試しました。
今でも継続しているものもありますが、ST(言語療法)、OT(作業療法)、PT(理学療法)、大阪での心理 治療や小児鍼、気功、スキー、東京での聴覚トレーニング、地元での幼児教室、スイミング、スキー、体操、音楽療法、リトミック、ピアノ、習字、良かれと思えば、ありとあらゆることをなんでも経験させました。言葉を話せるようにさせたい、社会と多くの関わりを持たせたいと思っていたからです。小学入学前の頃は「自閉症」という診断がついていました。
小学校は当然ながら当時の養護学校と判定されましたが、「地域社会で普通の子どもたちと交流させたい」と考え、地元小学校の特殊学級に入学させていただけるようにお願いしました。1年生の時は「人の話がまったく聞けず、本能のままに動く、まるで野獣のようだった」と後になって聞きました。しかし、熱心な先生方とたくさんのいい友だちのおかげで、人と関わる楽しさを覚え、社会の中でのルールやマナーも少しずつ身につけ、さらに文字や言葉も意識できるようになっていきました。6年生の時には言葉に近い声がようやく出るようになっていました。
そして中学。迷わず地元中学校に入学させました。小学校の時よりはすんなりと入学許可が出ましたが、小学校の時と同じく、娘を預けっぱなしにするのではなく、学校に対して両親ともども最大限の協力をすると約束しました。しかし、入学直後から小学校と中学校の違いに親子とも戸惑いました。中学校は制服で、みんな 同じ靴・カバンのため、当時何度か他人の靴を間違えて履いて帰ってきてしまい、先方に謝りに行きました。規律正しく静かな教室の中で奇声を出してしまったり、周りにちょっかいを出したりと、小学校では許されていた言動も中学校では許されないことが多くありました。さらに、10年間なかった発作が小学6年からたまに出ていたこともあり、特別支援学級でも軽度の障害のお子さんしかいない中で、娘のような存在はおそらく宇宙人のようで、言葉のない重度の子を持つ苦労を強く感じていました。
「まずは話せるようにしましょう」
そんな頃、私の妹がエルベテークの存在を教えてくれました。医師の妹はアメリカで研究していたのですが、その折、ロサンゼルス在住の日本人女性と知り合いました。その方のお嬢さんも自閉症で、長期の休みを利用し日本に戻り、エルベテークに短期集中で通っていて、とても効果があるらしいとのことでした。
東海地区という遠方から通うことに戸惑いはありましたが、「アメリカから通うほどいい所ならば」と思い、本人と主人、妹2人を連れて中学1年の1月にエルベテークの門をたたきました。事前の電話では、中学からの受け入れはしていないとのことでしたが、ご無理をお願いして、指導相談会に参加して様子を見ていただくことになりました。
指導相談会のとき、エルベテークの先生が30分ほど破裂音「ま・ば」など発音指導をされた後、「まずは話せるようにしましょう」とおっしゃった言葉は今でも忘れられません。それまでそんなことを言ってくださる所はなかっただけに、「この教室は相当裏づけされた自信をお持ちなのだな」と驚くとともに、このような教室に出会えたことを心から嬉しく思いました。
そして、中1の3月から、月に2回、時には泊りがけでのエルベテーク通いが始まりました。でも、新幹線を使って片道3時間半かかる旅は思ったほどたいへんではなく、娘と2人きりの学習時間もとれ、子ども自身も教室が気に入ったようで、嫌がらずについてきてくれました。
教室では、まず口を閉じて姿勢を正す学習から始まりました。発音は母音から1音ずつ徹底的に指導を受け、1つ2つと音が出せるようになっていきました。最初はヘレン・ケラーとサリバン先生のように、先生をけったり押したり、大泣きしたこともありましたが、徐々にそれも少なくなり、まじめに学習に取り組めるようになっていきました。
指導法などで学校とも協力し合える関係に
学校では2年生になり、1年の交流クラス(体育)の先生が担任になりました。それまで特別支援学級の指導経験はまったくなかったとのことで、「エルベテークのことは何でも教えてください」と言ってくださり、授業の進め方や宿題の内容も、エルベテークのやり方に合わせてやっていただけ、たいへんスムーズに学校生活が送れました。娘自身も1学期ごとに声に出して読める文字が増えていき、挨拶が自分から言えるようになり、落ち着きも増し、「中1の時と比べると見違えるように成長した」と、学校中の先生方に言っていただけるようになりました。
中学3年間を振り返ってみれば、周りのお友だちも娘を無視することもなくうまく関わってくれ、学校行事を友だちと共にすべて経験できたことは本当によかったと思います。これも、娘が中学に入ってからグッと成長でき、みんなにより理解してもらえたからこそではないかと思います。
高校は県立の特別支援学校に進みました。面接や試験の結果、学校からは3段階レベルの一番下のクラスを勧められましたが、エルベテークにいろいろアドバイスをいただき、真ん中のクラスを希望して無事入れていただくことができました。
担任の先生に入学後、早速エルベテークの話をしたところ、ぜひ見学したいとの話をいただき、実際に、この夏休みを利用してエルベテークでの学習を見学にお越しいただきました。先生は、娘が一人で足し算問題をスラスラ解いたり、絵カードを見て言葉をドンドン発する姿に感動してくださり、「2学期から、学習能力が さらに伸びるようにできる限りのことをさせてください」とお申し出いただきました。現在も、学校の宿題に加えエルベテークの宿題、そして自発語を増やせるよう繰り返し声に出す練習を日課にしています。
また、中学1年まで大きな発作がたびたびあったにもかかわらず、この2年半は発作が治まってきています。専門医より、「定期的な検査でも発作波が穏やかになってきています。起きているときには発作はないはずです。ずいぶんよくなり驚いています」とのことでした。言葉を知り、少しずつ話せるようになったことがいい影響を及ぼしているのではと思います。
中学1年まで言葉のなかった子でも、エルベテークの学習でこんなに伸びるのです。いわんや2歳や3歳ならどうでしょう?エルベテークに通えるのも、あと2年余りとなりました。1回1回の学習を大事にし、高校卒業後の次のステップも見据えながら、親子でがんばっていきたいと考えています。