坂本さん 中学2年生(年中11月入会 自閉症)昨年10月に開催したセミナー【わが子の発達の遅れに直面して】でのお話「母親として、医師として、思うこと」
学校(公立中学校特別支援学級)での現在の学習について
みなさん、おはようございます。これまで私は悩める母親の一人でありましたし、今でもそうです。河野代表の本を読んでエルベテークに入会させていただいたのです。
息子は小学校まで通常学級で中学校から特別支援学級に通っています。学習教科はエルベテークと学校に相談して英国数が中心です。支援級には支援級用の教科書があるのですが、「通常学級用の教科書を買わせてください」とお願いしました。というのは、私どもの地方では支援級の教科書は3年間を通して1冊なんですね。中学校の1年生から3年生まで同じ教科書を使うんです。なので、1年生も3年生も誰がどこをやっているか、進み方もわからず、とても不安だったので、『ぜひ通常学級の教科書を買わせてください』とお願いしました。
その教科書を使用しています。一応学習内容は学年相当だと思っています。しかし、見劣りするところと言いますか、できないことのほうが大部分ですので、エルベテークの先生と相談して「根幹だけ。枝葉はぜんぶ落としてください」って言われ、その言葉どおり根幹だけを学校にお願いしています。具体的には、国語は漢字が中心です。同じ単元の中でもうちの子は特に読み書きというか、文章読解力がないので、国語は漢字が中心です。読解力はエルベテークの課題を使っています。英語は週に5~10個の単語を覚えるように、教科書のキーセンテンス、基本の例文を中心にやっています。数学は文字式と連立方程式を学んでいます。
学習を仲立ちにして学校との協力関係を築く
学校の先生にとても協力いただいているんです。小学校、中学校と上がってきまして、中学校になると各教科の先生がつく。いろんなパターンがあるみたいですけれど、息子には支援級の担任と教科専任の先生が週1日入ってくれるので、その教科の先生と話し合い、今の学習スタイルができたのです。
それまでは支援級の先生だけとの話し合いだったので、意思の疎通がうまくいかなかったのです。「こんな学習をさせてやりたい、こういうふうに教えてほしい」と言っても、わかってもらえなくて、しまいには学年主任が出て来て、「無理に決まっているじゃないですか。いいですか、坂本さん。学校というのは積み重ねなんですよ」なんて言われるんですよ。
そのたびに、泣いてエルベテークに電話をするんです。「こんなこと言われたんです」と。「坂本さん。そこは怒らずに、このように学校にお伝えください」とアドバイスしてもらっても、また「言われました」とその繰り返しでした。
そこで、こちらから担任に「どうか教科の先生方とお話しさせていただけないでしょうか」と強くお願いしたところ、本当に運良くというか、ご理解いただける先生たちと話し合いがもて、「じゃ学校でやっているプリントも渡しますので、家庭でやってみてください。僕たちはこういうやり方をしていますので、家庭と違ったら教えてください」などと、やっと学校との連携がとれるようになった感じでした。
みんなと同じように定期テストを受けています。正直点数は良くないです。でも、ステップアップテストは時々良い点数をとってきて、びっくりしています。英単語のカルタ取りでは、なんと息子が一人勝ちしたそうです。国語は漢検です。これもエルベテークに勧めてもらい、今度は7級です。8級ではなんと満点近く取ったのです。うちの子で満点近い点数なんて見たことがないから、「すごいんです。ほとんど満点なんです」とエルベテークに伝えたらほめてもらえると思ったのに、「満点じゃないんですね。どこを間違えましたか」って、課題にやり直しのプリントがついてきたのでした。息子が満点を取れる力をつけているとわかっておられたからなのです。
そういう普通の子が受ける検定にチャレンジできる、そのチャレンジを学校も認めてくれるようになったというのは、これまでの努力が成果としてちょっとずつ見えてきたからなのかなと思っています。
「こういうふうに指導しました」という事例に出会った
息子はやっと授かった子なので、大事に育てようと、いろんな子育ての本、ベビーマッサージとかもいっぱい読んだのですが、なにか違うんですよね。そこが母親の勘というんでしょうか。まず寝ない、音に敏感など発達で心配なことが起こっているんです。けれど、初めての子育てであり、いつも見ているのは新生児室の子たちなので、自身が母親になったらよくわからないんです。
私の母は最初のころ、「子どもができたら、お母さんが全部見るからあなたは仕事をしなさい」と言ってくれてたのに、「あなたが仕事ばっかりしているからよ。お母さんに預けているからこんなことになったのよ」と言われ、「私では手に負えないからもう見ないわよ」って言われたのです。
ただ身体上の発達の遅れはなかったんです。首の座りも問題なく、寝返りもして、早産だったので小児科のフォローも入っていました。そして相談すると、小児科より「心配ないよ。気にしすぎです。でも、どうしても気になるんだったら、療育園を紹介しますので、行ってください」という返答だったんです。けれど、私は療育園での相談を選ばなかったんです。
親として一番最初にとった行動は逃げです。認めたくなかったんです。怖かったんです。うちの子がそうだと烙印を押されるのが嫌だったんです。なので、私はまず逃げました。現実から目をそらしたというのが実際のところだったのではないでしょうか。今、私があの時に戻ってもたぶん逃げるんだと思います。
助産師に相談しても、「先生、ちゃんと目を見てミルクあげてますか」なんて言われて。「目なんか合わないよ」って思ったけど、それも言えるわけもなく、何を言われても何を聞いてもいいアドバイスでも、責められている気がするんですよね。とにかく小児科の「なんとも思わないけどね。普通じゃないんですか。いまネットワークをつくっている途中なんですよ」という言葉にすがりついていた気がします。結局、手に負えなくなった母親は保育園に入れたんですね。そして、集団生活に入れて同年代の子と明らかに違うということを目の当たりにした時に「これはまずい」と本当に思いました。主人は、「こんなもんだろう。個性だろう」というような反応でした。でも、保育園のノートにはできないことがオンパレードです。これもできません、あれもできません……と。
そのうち、いろんなところに電話するんです。時間がなくて病院には行けないので、相談センターなどに電話して。なぜかって言うと、誰かに「大丈夫」って言ってほしかったんです。「こうすると良くなりますよ」ではなく、誰かに「大丈夫です。それ普通です。そんな子いますよ」って言ってほしかったので、それが聞けるまで休憩時間になれば、ご飯も食べないで電話する日々を繰り返しました。
そんな時に発達関係の本をいっばい買って。でも、ある時、読みたくなくなったのです。なぜかというと、分類ばっかり書いてあるから。「それがどうした」っていう気持ちになって、読まずに、もうほっときました。息子はその間に動物になりました。噛みつく、奇声、泣く、かんしゃく、暑いのか寒いんだかもわからない、何を食べたいかもわからない状態。あんなに待ち望んでいたうちの子がみるみる動物になるんですよ。
そんな時、ほっておいた本の中の1冊『発達の遅れが気になる子どもの教え方』エルベテークの本を手に取ったのです。本当に偶然でした。誰からの紹介でもなかったので、私の人生の中で、これは本当に幸運だったと思っています。そこで初めて分類うんぬんよりも「こうした事例があります。こういうふうに指導しました」と。「おうむ返しが多いという特徴があります」で終わらないで、「おうむ返しにはこうしましょう。口を閉じさせましょう。目を合わせましょう」って書いてあった本はこの1冊しかなかった。今探してもないと思います。そこですぐ電話してエルベテークに行きました。それが始まりです。
エルベテークでの相談会の時、息子は椅子になんと座っているのです。落ち着きのない子が先生の言うことを聞こうとしているのです。私たちはこれに驚き、「変われるかも」と思い、すぐにその場で入会しました。
優れた教育方針があるから夫婦が同じ方向を向ける
正直、遠方から通うには交通費も要り、片道3時間もかかります。お金には代えられないものがありますが、時間もかかりますし、医者という職業柄、病院を抜けられないんですね。やっぱり子どもも大事だけれど、患者さんも大事だし、あと同僚の目っていうのもあるのです。「子どものために」と言うと、「いいよな。子どものことばっかり考えていればいいんだからね」って言われてしまう。特に私は女性だからそれもあるようなないような世界ですが、主人はそれでは済まされない環境にいたわけです。代わりの医師もいないんです。でも、「なんとか1週間のこの曜日だけは休むという条件で勤務させてください」と。もちろん、その分のお給料は引かれます。周りからも良くは言われません。
でも、主人はそれまでは「君が好きにしたら」と私に任せていたのが、「鉄は熱いうちじゃないけどさ。今しかできないことをやろうよ」と言ったのですよ。「いいこと言うじゃない」と思って、お給料が減るのもわかっていたし、たぶん周りの理解もそうそう得られない、私たちは悪者になるというのはわかっていたけれども、「今やらなければいけないことを疎かにしたらきっと後悔する」と思って、——私も主人は病気になっても、なにしても病院は休まない、患者さんのために真夜中でも出ていくというのをモットーにしていたんですど——初めて家庭に目を向けた気がします。
息子は目も合わず2ピースのパズルさえできない状態から始まったのです。もちろん、ひらがなの読み書くもできませんでした。それが、「あ」を何十回、何百回、書いたんでしょうか。エルベテークの先生が根気強く書かせてくれたんです。そして、「『あ』がやっと書けるようになりました」とお迎えの時に言われたのを本当によく覚えています。そのように地道な課題をこなすことを繰り返し繰り返しやってきて今があります。
魔法にかかったとは言わないですが、ここまで成長はしてくれたけれど、小学校に行く同年代の子よりはやっぱり見劣りがしました。就学猶予をもらおうと思ったのは教育相談でした。そこで、「こんな子が繰り上がりの計算ができるようになるわけないじゃないですか。保育園はいいでしょう。楽しくやっていればいいでしょう。小学校に上がったら、自分のことがいっぱいで、あなたの子を助けてくれる子なんかいなくなるんです。そんな余裕はなくなるんですよ。それは坂本君のためにもならないし、周りにも迷惑なんです」って言われ、「このまま支援級に行ってください」と指示されました。
「支援級がそんなにいいところだというのなら見に行こう」と、言われるがままに。見学すると、子どもが床に寝転がっていたり、「そうか今度は笛が吹きたくなったんだね」といえば、プリントをやっている最中で離席して笛を吹きに行き、「そうかえらいね」なんて言っているのです。笛を吹いて偉いんだ。そのような光景が延々繰り広げられ、支援級の先生たちは自慢げに「無理をさせないとのびのび育ってこんなふうになるんですよ」と。当時小学校4年生くらいの子について「この子は来た時には喋れませんで、『やきそば』って言えるようになりました」。「4年かかってやきそばひとつなのか」って、それは私たちの正直な気持ちでした。私は「この環境に入れたくない」とすぐ思ったんです。エルベテークに相談して、就学猶予という方法があるということを初めて知ったんです。医師だから知っていたわけじゃないんです。そして1年の猶予を受けて保育園の卒業式を2回迎えることになったのでした。
就学猶予を経験して、子どもの成長にとって1年間ってこんなに大きな違いがあるのだと痛感しました。1年で、具体的には文字の読み書きと着席できていたことでしょうか。あとは簡単な指示が通る。そういう誰でもできるようなことができるようになったというのが大きかった気がしています。
教育委員会より、「どうしてもあなたたちが強く希望するのなら通常学級でいいでしょう、その代わり親が朝から晩まで付いてください。それが入学の条件です」と。そのような経緯で通常学級に入学したのです。
主人が「鉄は熱いうちにだな」っていう一言が出たのはエルベテークの教育方針に共感したからと振り返って思います。普通の子と同じように接し教えるのだ、教育方針は一緒というところが主人の心に響いたんじゃないんでしょうか。そこで初めて、私たち夫婦は一緒の方向を向いたような気がします。
夫婦で統一したことは、泣いてもわめいてもダメなことはダメ。それが一番大きいような気がします。あとは目を見て話しなさいとか、口を閉じるとか、もちろん夫婦でお互いそう認識しています。お父さんの時はよくてお母さんの時はダメのように、父親と母親で対応が変わらないように接しています。
みなさんご経験あるかどうかわかりませんけれど、息子は怒ると服を噛むのです。「キーッ」と。服がベロベロになって、汚くなるし、見場も悪いし。それを見ていた学校の先生たちが「タオルとかハンカチとか別なものを噛ませたらどうでしょうか。服を噛むよりいいですよ」って言われたので、またそれもエルベテークに相談してみたんですけれど、「ダメなものはダメです。服であろうが。ティッシュであろうが。タオルですか?。ダメなものはダメです」で終わりです。そこで「うちでは噛ませません。ダメなものはダメと言ってください、先生」と言って、そこは統一しました。そこだけは抵抗しました。
積み重ねと工夫、そして筋道
学習っていうと、ほとんどの先生たちは「こんな子に学習させて何になりますか」って言われるんです。「それよりもこの子たちは時計が読めるようになったりお買い物ができたりとか、バスに乗れたりするほうが大事なんですよね」って。もちろんそれも大事だと思っています。否定しているつもりはないんだけど、「学習させたい」と言うと、「そういう基本生活もできない子に学習させても意味がない」というふうになってしまう。「足し算できてどうします?」っていうところから始まって今に至るんですけれど。
確かにその当時の息子は生活の自立ができていないのも課題なんですけれど、学習ができる、人間としてまず一つ学習の場を与えられる権利というか、それがないのはおかしいなと私は思ったんです。私が生んだのは動物の子ではないんですね。人間はやっぱり知識を得てなんぼだと思っているし、私は本を読む喜びとか知識を得る喜びを知っている。それがうちの息子にないのはすごく悲しいと思ったんです。
なので、学習をさせてあげたかったという気持ちはもちろんありますし、学習はもちろん九九ができてお買い物ができたらいいけど、それだけではないと思います。学習ができる、積み重ね、積み重ね、積み重ね。特別な子は特別じゃなくて、特別なんだけど普通の子と同じ教育を与えてあげて、でも何か工夫がやっぱり必要なんです。それが特別支援のあり方なんだろうと思うんです。工夫を重ねていけば、うちの子だって——皆さんのお子さんはうちの子よりきっと大丈夫なお子さん方が多いと思うんですけど——伸ばせられる芽を摘んでほしくなかった、その方法の一つが学習だったのかなって思います。
積み重ねていけば、何か必ずできるようになるっていうこと、そういうことを学習を通して学べた。何か成果がないとやっぱり人間って悲しいんですね。やる気がなくなってしまう。うちの子は「あ」が書けるようになったとか、漢字が書けるようになったとか、そういう何か目に見える成果があると、人間、次へまた頑張っていこうと思える。親でさえそうなので、やっぱり学校の先生たちもそうなんですね。「何十回も繰り返し教え練習させたらできるようになったじゃない、この子」のような喜びを先生たちも持つようになると「次は、これをやらせてみてもいいですか」みたいになってくる。そのようなお手伝いをエルベテークの先生方がすごく上手にやってくださいます。
学習そのものについて言うと、いただく課題がとても緻密に作られているんです。見ていると、数学も次はここ括弧でくくれるようにさせるためにこの練習があるんだなっていうふうに見えてくるんですね、その筋道が。それが国語であろうと、英語であろうと、数学は特にわかりやすいんですけれど、よく考えて計画されたプリントなんですね。筋道がわかるということは何においても大事なこと。あとは練習の積み重ねです。
息子が連立方程式なんかを解くようになるなんて考えてもいなかったし、言葉が喋れるとも思わなかった。でも、主人はしつこくしつこくしつこく「坂本豊です」「お名前は?」「坂本です」「坂本豊です」って言わせてたんですね。私はすごい冷めた目で見ていて、「バカだなお父さん、この子はできるようにならないわよ」と思っていたら、ある日、「来てみろよ」と言われて、お風呂場に行ったら、「お名前は?」「坂本豊です」。「できた、言えた。やってたらできるって本当だったね」。そのとき、本当に「お父さん、ありがとう」って思いましたし、「あ」が書けなかったのが、何十回、何百回、やったら書けるようになったという、その積み重ねを学習を通して学んでいく。これからもきっとできないこといっぱいあるんでしょうし、あるんですけど、積み重ねたらできるんだなと思っています。
指導力を高めるために一緒にやるべきこと
ただ同じことを同じようにやってもうまくいかない特性をもった子たちですので、そのあたりのテクニックを持ってらっしゃるのがエルベテークなんだろうなとすごく思います。
特別支援教育という、たくさんの子どもの中から目をかけなきゃいけない子どもをピックアップするのは必要なことだと思うんです。ですけれど、ピックアップして終わりじゃないですよね。その特別支援教育によってどう変わったのか成長したのかということが大事だと思います。
確かに特別支援じゃなければ受けられない個別の指導もあるんですよね。なのでうちは恩恵を受けていると思いますが、ピックアップだけではだめ。先生方の戸惑いが手に取るようにわかるのです。この子にどう接していいかわからない。私も子どもにどう接していいかわからなかった。一緒にいるのが怖かった時期もあるし。先生たちもそうなのかなと思うんですね。通常学級の先生からは「特別支援に行け」と言われる。特別支援の先生たちは「どうしていいかわからない」。延々と同じプリントをさせていつまでも同じところを間違う。なので先に進めない。手応えもない。そのまま次の学年に……ということの繰り返し。先生たちの困り感をどう減らしていけるのかな、と感じます。
私たちとしては子どもができるようになったという成果を見せることで先生たちのモチベーションを上げて頑張ってもらい、先生にも手応えをつかんでほしい。先生方それぞれの考え方はあるが、ひとつのことに凝り固まらず、いろんなところから知識を仕入れてその子に合った指導をしてほしい。将来を狭めるようなことはして欲しくないと特別支援教育に対しては思っています。