エルベテーク
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指導事例

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Hさん 小学1年生 (小1の2月入会 軽度発達障害)

エルベテークに再入会して改めて気づいた「親の務め」

「軽度発達障害」と診断されてから

 「おかしいなあ」と思い始めたのは2才を過ぎた頃で、同じ年頃の子と比べて言葉が遅く心配していると、周囲の方から「男の子は言葉が遅いものよ」と励まされながら様子を見ていました。バイバイをする時に掌を裏表逆にする時期がありましたが、2ヶ月ぐらいで正せたので不安は消え安心しました。その頃、ドライブ中に見えてくるファミレスやガソリンスタンドのマークを覚えるのが得意で、指を差しては「エッソ、ユニクロ、ジョーモ」などと言っていました。ひらがなとアルファベットも知育玩具で一人で覚え、読んでいました。床に落ちている髪の毛を指差して「J」と読んだ時には、この機械的暗記力のすごさは天才かもと期待しました。

 ところが、幼稚園に入園すると、周りの年少の子ども達は言葉のキャッチボールが大人並みにできるのに驚きました。そこで、息子の言葉の遅れは早生まれのせいでも、個人差の範疇でもなく大きな問題であると確信し、5月に小児神経科を受診したところ「軽度発達障害」と診断されました。ショックよりも「やはりそうなんだ」という気持ちが大きかったです。医師に今後何をすれば良いかと尋ねると、「優しく接してあげて下さい」とそれだけで、療育の勧めはありませんでした。その時は不親切だと思いましたが、数々の療育機関を見た今、その医師は療育の効果を疑問視していたのかもしれません。
 診断後は、落ち込む間もなく、幼稚園の担任にその旨を伝え、本を買いあさり、夫婦で意見交換をしました。その中の『自閉症の子を持って』というエルベテークに通う子の父親の手記を読み、善は急げと相談会の予約を取りました。

丁寧な指導と学習

 私ども両親が代表と話している間、息子は先生の指導を受けました。そこで驚いたのが、多動で落ち着きのない息子が着席し、「手は膝、口を閉じて、目を見て」に従えていたのです。先生は私のように声を荒げたり感情的に怒ったりせず、静かな声、ゆっくり丁寧な口調で指示されていました。その日から息子に指示する時はエルベテークの先生を目標にしていますが、アッという間に感情がヒートアップしてしまい、未だ私には真似できていません。ピーンと張り詰めた雰囲気を、いつもは空気を読めない息子も読めたようです。これぞプロの仕事だと感じ、当日即入会をお願いしました。
 送迎は夫と私が交代で片道2時間以上かかり大変でしたが、その車中で予習復習をやり有効に時間を使いました。年中になるとたし算を宿題に出され驚きました。障害児なのに無理だという先入観があったからです。更に驚いたのが、例えば私が「3+5は?」と聞くとエルベテークの学習中に習ったようで、「8」とすらすら言えたのです。エルベテークの先生は息子の得意不得意を見極め、少しだけ上に目標を設定しているのだなとまたもプロだと感じました。
 というのも、時間が許す限り多くの療育に通わせようと、自治体や民間の療育を体験しましたが、幼稚園でやっている事と大して変わらなかったり、自尊心を傷付けるからと優しいだけだったり、私たち夫婦には物足りないと感じる所が多かったのです。
 我が家は千葉県北部の田舎町で小さな医院を経営しており、仕事の都合で平日に息子を送迎することが時間的に難しくなり、年中の秋、1年通った頃、泣く泣くエルベテークを退会しました。
 その後の幼稚園の3年間は先生方の理解と息子の人懐っこい性格のおかげで私の耳に入ってくるトラブルはなく楽しく過ごせました。でも参観に行くと離席こそしませんでしたが、指示を聞いていなかったり、姿勢が乱れたりは目に付きました。今もそうですが、被害妄想ならぬ加害妄想でいつも先生や保護者に会うたびに「息子がご迷惑をかけていないでしょうか、何か気になる言動に気付いたら私に言ってください」とビクビクしていましたが、幸い取り越し苦労に終わりました。

私たちの求めている指導

 就学は知的遅れがなかったため普通学級に入学予定でしたが、入学後に補助教員が必要になったり支援級に移らざるを得なくなったりする可能性を考え、千葉県内では福祉教育支援に財政的に手厚いと聞いていたZ市に転居することにしました。まったく知らない土地での生活がスタートし、療育先も一から探す事となり、近くのA教室と日曜にやっているB教室にすぐに入会しました。
 どちらも対応は優しく丁寧でしたが、半年ほど通った頃、物足りなく感じ始め、このままでいいのだろうかという不安と焦りに変わりました。B教室は指導を別室のモニター画面で見ることができます。見ていると姿勢が乱れても肘をついても突然関係ない話をしても注意せず、学習を進めるだけでした。息子の問題点を改善してほしいという親の思いとは異なっていました。
 気付くと私の求めている指導はエルベテークでした。エルベテークに通っていた頃は息子も私も先生についていけば大丈夫という安心感がありました。転居直後にエルベテークに通う事も考えましたが、通うには遠過ぎて無理だと決め込んでいたのです。この頃になると多少遠くともエルベテークしかない、入学してすぐに通わせなかった事を後悔し、すぐに電話をして再入会させていただきました。初回指導の翌日、学校の宿題を見るとそれまで汚かった字が、「止める、はらう、はねる」が守られた見違えるぐらい丁寧な字になっており、驚きました。魔法じゃあるまいし、「なぜだ?」と考えました。多分、年中の1年間で通った指導の記憶が、その後のブランクでも消えずに残っており、甦ったのだと思います。
 入学当初息子は漢字に興味を持ち、いつも漢字の本を見て覚えていました。板書にも凝っており、入学当初はノートの字はとても丁寧でクラスで書写の代表にも選ばれました。熱しやすく冷めやすく、2学期になるとノートは別人のように汚くなりました。6月の字の丁寧さは好きだからという理由でしたが、エルベテークに通い始めてからの丁寧さは、嫌でも面倒でもやらねばならないからやるという理由です。これは字だけでなく、将来仕事をする時に必要な忍耐にもつながると思います。

これからも頼りにしていきたい適切なアドバイス

 1年生の2学期に同じクラスの子とちょっとしたトラブルがあり、その事を代表にお話しすると、今後の6年間で同じ子とまたトラブルがあるかもしれないので、担任と交わした連絡帳は残しておくなど適切なアドバイスを受けました。19年もの間、障害児を見守って来られた豊富な経験に基づく自信あるアドバイスでした。送迎時、待合室で代表が親身に保護者の相談にのっていらっしゃる光景を目にします。高学年になると、対応に困るトラブルがきっと起こると思いますが、その時にはエルベテークに頼れば間違いないと心強く感じています。
 幼稚園の頃は身辺自立を目標としてきましたが、今の最終目標は自活、自立です。一生、障害は消えぬものなので周囲のサポートは必要不可欠です。幸いにして障害が軽くなったとしても自分勝手なわがままな人だと誤解される場面はあるはずです。一分野に秀でた技能でも見出せればそれが一番ですが、それは一握りの人でしょう。
 時間、規則を守る、真面目に働く、さぼらない、素直に謝れる、嫌な仕事でも我慢してやり遂げる、笑顔で自分から挨拶するなど、親が亡くなった後でも、一緒に働く人たちから愛される人格を作る事が親の務めだと考えています。


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