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指導事例

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Wさん 新中学3年生(年長7月入会 広汎性発達障害)

Wさん(新中学3 年生)のお父さまより

「広汎性発達障害」の診断にショックを受けてから

 息子は中学2 年生で、来年いよいよ高校受験です。今、新型コロナウイルスの影響で臨時休校となり、家庭でエルベテークの宿題や学校の復習に取り組んでいます。
 これまでの息子を振り返ると、2 歳になっても言葉が出ず、表情も乏しくて状況の変化に対応するのが難しく、転がるボールや玉に強く惹かれたり、ものを並べたりといったこだわりも強い状態の子供でした。2 歳検診でかかりつけの小児科の先生から、発達で心配だからと大学病院の小児科を紹介されました。大学病院で診察を受けたところ、広汎性発達障害の疑いがあると診断されました。思ってもいなかった診断にショックを受け、なかなか受け入れることができませんでした。
 大学病院で行っていた療育や音楽療法を紹介され、月1 回ほど通うことになりました。そこで「この子は将来的に話すことはないでしょう」と言われ、「どうしてうちの子が……」と暗澹たる気持ちに苦しんだものです。また、療育は遊びが中心であり発語を促すようなものではなく、果たして効果があるのだろうかと疑問に思っていました。息子の将来を考えると心配でたまらないものの、どうしてよいかわからず焦りばかりが募る毎日でした。
 そのうち、大学病院の医師から「社会性を育てるために保育所に通ってはどうか」とアドバイスをもらい、妻と二人で近所の保育所に事情を話してお願いしたところ、幸いにも受け入れていただけ、2 歳の11月から通うことになりました。
 ところが、保育所に通ってからが大変で、最初の数ヵ月間、給食を一切食べようとせず、ずっと午前中で迎えに行く毎日でした。給食を食べるようになってからは、先生や友達とコミュニケーションがとれず、他の子供たちと同じようにできないので、運動会や発表会でも常に先生が傍にいて手助けしてもらうという状態でした。周りの子供たちに比べると発達の違いが一目瞭然で、親として苦しい思いをしたものです。
 そして年長の7月になり、小学校入学も気になってくる時期となりました。相変わらず療育には通っているものの目立った成果もほとんど現れず、どうしたものかと思っていた時、妻がインターネットでエルベテークのホームページを見つけました。さっそく電話をして相談会に参加させていただきました。
 そこで、先生から「この子は伸びる力があります。会話もできるようになります」との言葉をいただきました。半ば信じられないような気持ちでしたが、さっそく指導をお願いすることにしました。
 年長の7月半ばに入会して、目を見てきちんと挨拶をするこ妻の頑張りに感謝しながら、息子の成長を見守るW さん( 新中学3 年生) のお父さまよりとから始まり、鉛筆の持ち方や線を引く練習、ひらがなや数字を書く練習をしていただきました。言葉も口の形や発音の仕方を一音ずつ根気よく指導してもらい、少しずつ発音できるようになりました。
 その時は本当にうれしく、エルベテークに出会うことができて本当に良かったと妻と話し合ったものです。少しずつ先生の指示に従って学習できるようになり、息子もエルベテークに行くのを嫌がることはこれまで一度もありません。河野代表が「もう1 年早く始められたらよかったですね」とおっしゃっていたことをよく覚えています。

「普通学級の選択」という決断

 いよいよ小学校進学を決断する時期が近づいてきました。エルベテークでご指導を受けて目に見えた成果も出てきてはいるものの、まだまだ言葉は会話といったレベルに達しておらず、生活面でも学校生活に耐えられる状態まで至っていなかったので、普通級と支援級のどちらに進むべきかと悩ましい日々を送っていました。大学病院での診察の折に医師に相談したところ、「普通級は無謀です。無理して普通級に進んで潰れた子供たちを何人も見ています」と言われ、市の就学相談でも「最終的にはご両親の決断ですが、支援級がよいと思います」言われてしまいました。
 ところが、エルベテークに相談したところ、「1・2 年は大変でしょうが、普通級に進まれたらいいと思います」と言っていただけました。当時の息子にとって普通級の選択はハードルが高いということは重々理解しているものの、息子の人生を長い目で見た場合、先に行くほどハードルは高くなっていくことは明らかです。小さい時から目の前のハードルを乗り越える力をつけていかないと、先のより高いハードルを超えることは不可能になってしまう。結局、妻と相談して普通級に進ませる決断をし、エルベテークにもお伝えしました。エルベテークからは、「普通級の場合は、しばらくお母さんが学校で付き添うことになると思います」と以前から言われていたので、夫婦で協力して頑張ろうと話し合いました。
 普通級に進む決断をしたものの、それから先は決して楽な道のりではありませんでした。  まず、秋の就学時健診で早くもつまずきました。スムーズに健診ができなかったのです。前途の多難さを思い不安でいっぱいになったものです。
 大学病院の診察と発達外来、言語訓練はその時に辞めてしまいました。言語訓練では訓練の様子をビデオで撮影され、なんだか症例研究の材料にされているように感じたことや、医療機関は病気を治療するところであって、本人のこれからの人生や将来を見据えた対応や具体的な指導・アドバイスをしてくれるところではないと思ったからです。

学校との信頼関係づくりを工夫する

 エルベテークからは入学に向けていろいろなアドバイスをいただきました。「学校生活で配慮していただきたいこと」をまとめたレポートを作成し、入学前に校長先生と予め面談するようにとのことだったので、さっそく二人で校長先生に面談にいき、現在の息子の状態や配慮していただきたいことを説明しご配慮をお願いしました。校長先生からは、「わかりました。担任はまだ決まっていませんが、伝えます」と言っていただきました。
 いよいよ入学式の日がきました。夫婦二人とも心配で押しつぶされるような緊張を感じながら式に参加しました。会場には無事に入場してきたものの、校長先生のお話のとき、大きな声でマネをしている息子の声が聞こえてきて、あわてて妻が傍に駆け寄ってたしなめるといったこともありました。担任は学年主任のベテランの女の先生でした。初めて見たとき少し厳しそうな印象を受けたので、大丈夫かなと心配になったものです。
 翌日から早速、大変な日々の始まりです。妻が登下校に付き添うところから始めたのですが、登校班で歩くとき先頭でないと気が済まないのです。6 年生の班長が先頭と決まっているのですが、とにかく前に行きたがるのです。制止する他の子とトラブルになり、叩いたり噛みついたりします。妻が一生懸命制止する毎日でした。授業中も盛大に独り言を言う、離席するといったありさまで、毎日連絡帳で報告される始末です。
 支援員の先生がついてくださったのですが、甘えてしまい、先生に抱きついたり給食を食べるのが遅いため食べさせてもらうといった状態になってしまいました。そこで、甘やかさずに注意していただくよう先生にお願いしました。エルベテークから、学校と親の連携を密にするようにとのアドバイスをいただいていたので、妻は役員や校内ボランティアを積極的に引き受け、学校に行きやすい状況を作っていましたが、すぐに担任の先生から授業中も付き添うように言われてしまいました。それから妻は毎日学校に行き付き添うようになりました。さぞ辛い毎日だったろうと思います。
 しかし、しばらくすると、担任の先生と信頼関係が生まれてきて、先生の補助要員のような役割をこなすようになり、息子だけでなくクラス全体の面倒をみたり授業の手伝いをするようになり、それからは先生との関係がとても良好になりました。
 妻は運動会の練習にも毎回参加してダンスの振り付けを覚えてきて家で練習させたり、音楽発表会にも曲を覚えてきて家で練習させるようにしていました。運動会や音楽発表会といった行事でもとにかく体が動くので、遠くからでも息子がどこにいるのか一目瞭然といった有様でした。また、図工や家庭科でも保護者ボランティアに積極的参加し、息子のサポートをしてくれました。
 2 学期後半から担任の先生には、「だいぶん落ち着いてきましたね」と言っていただけるようになりました。先生がクラスメートにも息子の手助けをするように指導していただいたので、特に女の子たちが積極的に息子の手助けをしてくれました。その後、高学年になったら息子の方が子供扱いされているような気がしたらしく、多少もめることもありましたが、クラスのみんなには感謝しています。

家庭学習のがんばりと担任の評価の言葉

 家庭では、帰宅後に学校の宿題とエルベテークの宿題を妻が付きっきりでやらせていました。妻に丁寧に書けていない箇所を消されて、息子は何度も書き直しさせられるのが気に入らず、泣きながら学習することもありました。学校の宿題は、出された課題を確実に提出することを特に心掛けていました。絵日記の宿題が頻繁に出されたのですが、絵を描くのも作文するのも苦手だったのでとても時間がかかり苦労しました。毎日3 時間くらい勉強していました。息子は現在でも長時間の学習にあまり抵抗がないようで、今にして思えば、当時の苦労が粘り強さの成果につながっているのかなと思っています。
 担任の先生は2 年生の時も自ら志願して息子の担任を引き受けてくださり、1・2 年生という一番大変な時期にご指導いただき大変感謝しています。3 年生になる前に別の学校に転任されたのですが、その後時々お会いする機会があり、当時お世話になったお礼を申し上げると、「あの2 年間は、私の方こそ本当に勉強させていただきました」とおっしゃっていただき大変嬉しく思っています。
 3 年生以降は、新しい担任の先生とは学年の最初に必ず夫婦二人で面談させていただくようにしていました。これが学校との関係を良好にするのに大きく効果があったと思います。6 年生になり中学進学を控えて担任の先生と進路について話し合いを行いました。担任の先生は学習面よりも生活面を心配されていました。「中学になると教科ごとに先生が変わり環境が大きく変化しますし、クラスメートも自分の事で手一杯になってしまい手助けできなくなると思います。支援級に進む選択肢もありますが、どうしますか」と言われました。
 我々も心配なことは確かで、支援級に行けば本人も楽だろうし何より我々親が楽だろうと思いましたが、やはり将来的にこれから先ハードルがどんどん高くなることは間違いなく、「本人は大変だろうがあえて茨の道を進ませる覚悟で普通級に進ませます」とお答えしました。
 そして、卒業式ではキチンと校長先生から卒業証書を受け取る姿を見て、「ああ、ここまで成長してくれたんだな」と思い、目頭が熱くなりました。同時にこれからの中学生活を思うとやはり心配でもありました。

山あり谷ありの中学校生活

 中学校の入学式では新しい環境にも関わらず、一人でまったく問題なく対応できました。小学校時代の担任はすべて女の先生だったのですが、初めて男の先生が担任になりました。少し心配して息子に聞いてみると、「男の先生の方がいい」との答えでした。
 中学でもやはり入学後すぐに、妻と一緒に担任と学年主任の先生に面談をお願いしました。問題が起こる前に面談に来られるのは珍しいとおっしゃいました。おかげで先生方に注意を払っていただけるようになりました。また、小学校時代のことが中学校にはほとんど連携されておらず、面談をお願いして本当に良かったと思いました。
 中学に入って環境が大きく変わり、息子の気構えも変化したのか、学校公開や保護者懇談会、運動会といった定例の行事の日以外は、まったく親が学校に行かなくてもよくなりました。1 年生の時は時々担任の先生が様子を電話で知らせてくださることはありましたが、2 年生になると電話もほとんどなくなりました。大概の問題は、自分から先生に相談して解決するようになりました。よく職員室に顔を出すので、学年以外の先生方にも息子のことを覚えてもらえたようです。また、学校での出来事を話すようになったので、親が学校に行かなくても大体のことは把握できるようになりました。
 ただし、すべてが安泰というわけにはいかず、しつこくからかいを受けるようになりました。独特の話し方をするのと、運動が苦手なので一部の男子からからかいを受けるようになったのです。同じ小学校だった生徒たちは、小さい頃から息子を知っているのでそうでもないのですが、別の小学校から来た生徒たちは珍しいタイプだと思うらしく、からかってくるのです。大人からみればくだらない内容なのですが、息子は真に受けてしまうので時々トラブルになりました。
 エルベテークに相談したところ、学校に行くのを嫌がっていなければ、先生にお話しする程度にして、あまり事を荒立てない方がよいとアドバイスをいただいたので、三者面談等の機会に先生にお願いしました。からかいやいじめは学校の中だけでなく、大人の世界でもあることです。息子にはスルーする(聞き流す)力を身につけて欲しいと思い、何か言われても相手にしないように言い聞かせました。
 ただ相手の生徒もまだ子供なので、相手にしないようにしていてもしつこく言ってくることもあり、我慢できずに揉み合いになったこともありました。ある時、偶然相手の足が息子の左手の指に当たって骨折してしまいました。息子は泣かずに帰ってきました。そして「手が痛い」と言うだけでした。びっくりして病院に連れていくと、全治2 週間の骨折とわかりました。相手も怪我をさせようと思ったわけではないので、あまり事を荒立てず学校に連絡して対応をお任せすることにしました。

4月から中学3年生に

 家庭学習の面では、中学に入ってからは妻が付きっきりにならなくても、自分で学習ができるようになりました。集中が途切れてぼんやりしている時は妻が注意しているようですが、ほとんどは自分で学習を進めています。基本的にのんびりした性格なのと要領があまりよくないので、時間はかかっているようですが、忍耐強く学習しているようです。
 特に英語が好きなので、英検に挑戦するようになりました。英検は学校でも受験できるのですが、高校受験を考えて試験会場の雰囲気に慣れるように、毎回試験会場が異なる一般受験をさせています。3 級までは順調に合格できたのですが、準2 級はそれほど甘くなく手こずっているようです。しかし不合格を経験するのも大切だと考え、諦めずに挑戦するように言っています。
 これから社会で生きていくうえで、勉強以外でもいろいろな経験をさせておくほうが良いと考え、休みの日に時々電車で都心の方へ連れ出していたのですが、そのうち一人で行きたいと言うようになりました。なにかトラブルに遭遇したらと心配だったのですが、せっかく自分一人で行きたいと言っているので、思い切って行かせることにしました。困ったときに連絡が取れるようにスマホを持たせ、妻と二人でドキドキしながら送り出しました。幼少のころは電車に乗せるとパニックになりそうでずっと抱っこしていたのに、変われば変わるものです。
 池袋のサンシャインの展望台に一人で行ったとき、スマホを紛失してしまったことがありました。その時は上野で待ち合わせることにしていたのですが、急に息子からメールの返事が届かなくなり、電話しても一向に出ないのでとても心配しました。息子は係の人に事情を話して一緒に探してもらい、親切な方が拾って届けて下さり事なきを得ました。その話を聞いた時、自分でトラブルに対応できるようになったのだと非常にうれしく思うとともに、失敗やトラブルを経験することは非常に大切なことなのだと思いました。
 今にして思うと小学校1・2 年生の頃が一番大変だったように思います。息子にその当時のことを覚えているかと尋ねると、「ほとんど忘れた」と言っています。低学年の頃はよく熱を出すことがあったのですが、本人も日々精一杯だったのかもしれません。
 妻は本当によく頑張ってくれたと思います。感謝の気持ちで一杯です。先行きの見通しが全く立たない中で、不安と焦りに押しつぶされそうな時もありました。そんな中でエルベテークに出会うことができてご指導を受けていく中で、少しずつ成長を実感できるようになりました。
 息子は今でも要領よく話すことは苦手ですし、得手不得手の科目がはっきりしています。食わず嫌いなところもあり頑固だったり、日常生活でも相変わらずデコボコしています。字も悪筆で、よく妻にていねいに書くよう叱られています。このようにまだまだ課題はあるものの、小さかったころに比べれば我々親も随分楽になってきたと思います。
 3 歳のころ医師から「子供と話すことはないでしょう」と言われてショックを受けた日、それでもエルベテークの先生から「お子さんの可能性を信じて、高い目標をもって頑張りましょう」と励ましていただき、今日まで何とかやってきました。
 エルベテークからは、学習だけでなく学校生活を送っていくうえでの貴重なアドバイスをたくさんもらいました。息子だけでなく、我々親もご指導いただいているのだと思っています。4月からは高校受験に向けた一年となりますが、これからもご相談しながら進んでいきたいと思います。
 先日、息子に小学校時代や昔に戻りたいと思ったことはあるかと尋ねたところ、「ない。僕は前へ前へと進むのが好きだ」と答えました。昨今、環境破壊、少子高齢化、A I やI Tの急激な進歩といったことが盛んに言われていますが、息子たちが大人として生きていく時代は、今とはかなり違った世の中になることでしょう。そんな先の見えない時代に生きていくのは大丈夫だろうかと思ったりするのですが、本人の言う「前に進むのが好き」という言葉を信じて見守っていきたいと思います。

教室より

小学校に入学して間もなく、付き添っている学校での様子をお母さまが涙ながらに嘆いていらしたことが昨日のように思い出されます。振り返るとあっという間と感じられる時間ですが、当時の一日一日の努力(戦い)は大変なものだったに違いありません。教室においても、W くんが自分の思いを伝えられず、注意されたことに腹を立てイライラしていたあの頃がいまはうそのようです。現在、国語のテストにおいて作文16 点中12 点をとってくるなど、成績を上げています。テーマに沿った自分の考えを書き、評価されるほどになりました。受験生になりますが、目標達成に向けて果敢に挑んでくれることと期待しています。


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