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指導事例

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Hさん 小学2年生 (3才3ヵ月入会 自閉症)

「一生話せない」と言われた息子は学校での様子を教えてくれるまでに成長

「絶対にこの子と話せるようにするのだ」という信念

 息子は2歳になっても言葉がなく、また多動傾向が強く、少しもじっとしていられない子でした。また、3歳の秋に受けた幼稚園の入園面接では動物や色の区別がわからず、ただ走り回るだけで、結局、入園許可はもらえませんでした。

 大きな不安を抱えながら、区の保健センターでの3歳児検診で、言葉の遅れや多動などについて相談したところ、通園施設を紹介されました。行ってみたところ、その内容は親子体操をしたり公園で動物とふれあったりと、どう考えても息子の発語を促すようなものではありませんでした。そして施設の指導者の方々から、息子の遅れは「母親の愛情不足だ」とか「話せないし伸びないから早くあきらめなさい」「この子と会話することは一生ないでしょう」と言われ、私たちは深く傷つきましたが、逆に「このままではいけない、絶対にこの子と話せるようにするのだ」という強い信念が生まれてきました。

 その後すぐに、発達専門の病院に行くと「自閉症ですね」と軽く言われ、「専門のところに行ってください。ここにはもう来なくていいですよ」と言われました。その2日後にもう一つ予約していた専門の病院では「広汎性発達障害」と診断されました。しかし、どうしていけばよいのかアドバイスはありませんでした。

 こうなったら、まず自分たちがこの障害について知らなければと考え、本を探しに行ったところ、運良く『発達の遅れが気になる子どもの教え方』という本に出会えました。「息子でも学べる力がある、できるようになることが必ずあるはずだ」と思えるようになり、希望が出てきました。そこですぐにエルベテークに連絡しました。

 相談会を経て週2回通うことをその場で決めました。3歳3ヵ月での最初の授業は、まず50音を発せないので、口の開け方の練習から始まりました。追唱にも応じられず一音ずつ発音するまで3ヵ月かかりましたが、先生方の指導のおかげで、その後単語も言えるようになり、二語文・三語文へと次第に発展していきました。教室と家庭で、相手の目を見て話を聞く、言われたことに応じる姿勢を学び、認識力を高める時間がとても大切だったと思います。

登校から下校までの付き添いが大きな成果につながった

 そして、年長から幼稚園に通えるようになりました。年長の秋に就学時健診があり、学区が新興住宅地で160人以上の参加になったので、ごった返しの中で4時間以上もかかりました。息子は最初から興奮気味になってしまい、私が付き添いながら回ることになりました。教室や家でも事前に練習をして臨みましたが、やはり途中から崩れてしまい、結局その後、教育委員会に呼び出され特別支援学級を打診されました。しかし、「まだ力不足ではあるが、協力を得て普通学級で学びたい」という意志を伝えると、再度の面接で「母親が朝の登校から下校まで付き添う」という条件付で普通学級への入学が決りました。1月の中旬でした。

 その頃の息子は、まだ多動ではありましたが、言葉も短い簡単なことなら話せるようになっていました。また、簡単な足し算、引き算、50音の読み書きもできるようになっていました。手先の不器用さや感情面のコントロールなど不安はたくさんありました。

 そんな状態で4月から学校生活が始まりました。朝は4時30分に起き、上の娘のお弁当を作り、家事を済ませてから一緒に登校するという、それまでは思いもしなかった日々でした。教室の後ろに置かせてもらった席から見守っていましたが、多動の息子は新しい環境でじっとしていられず、とにかく教室から出さない、席に座らせておくことで精一杯でした。興味を持てる授業(自分が知っていて、できること)と、そうでない授業(図工や観察)の差が激しく、後ろで見ているような悠長な時間はなく、息子の横につきっきりの毎日でした。

 そして、どこを見ればいいのか、先生が話し始めたらどうすればいいのか、理解できない言葉の意味、いろいろな手順とやり方などを息子に教えていきました。体育の授業にも付き添いました。前もって家で準備できることは練習をしてから臨みました。周りの子よりかなり幼い息子について学校でいろいろ教えてあげられたのは幸運だったと思います。

 担任は40代後半のベテランの女性でした。学年主任でもあり、あまり話しかけてこられない方だったので、本当に緊張しました。「配慮していただきたい点」をレポートにして渡してありましたが、まず私が率先して息子へ指示の出し方、接し方を実践して、そのやり方を知ってもらい、先生より前に出すぎず、先生からの要望や学校への協力などについては誠心誠意応じる姿勢をとりました。

 息子はエルベテークで入学前から1年生の学習はやっていましたので、漢字や音読、計算においては早く正確にできていました。すると、「できないこともあるけれど、できることもたくさんある子だ」と、先生に理解してもらえるようになりました。

言葉を話し、言葉で理解できる子どもとして

 しかし、秋に発達に問題のある子どもたちの日常を大学の専門の先生が見にきて、小学校の先生方に指導法を助言する旨の見学会があり、息子もその対象でした。そして、息子の一番の問題は、友達に近づきすぎる、人との距離感がわからないことであると判定され、「悲しい顔のカード」を作り、それを使って、相手の気持ちを息子に示すという接し方を提案されました。

 すぐエルベテークに連絡をしてどう対処したらよいか相談すると、「息子は言葉で指導していただければ理解できる子ですので、幼児のようなカードは使わないでほしい」という旨の手紙を、父親から先生へ提出してくださいとのことでしたので、すぐにそうしました。すると、担任の先生はよく理解してくださり、この一件は解決しました。

 年明けには、息子にも自立心が芽生え、苦手な学校集会にも私の付き添いなしで参加したいと言い出しました。学校のルールも自分なりに解ってきた様子だったので、担任の先生とも自立についてたびたび相談していましたが、具体的な話にならず、息子が一人で学校で過ごす機会を逃がしておりました。

 ところが上の娘がインフルエンザにかかり、私が付き添えない事態が起きました。息子を休ませることを覚悟のうえで先生に連絡したところ、「一人で来させてください。大丈夫でしょう」と言われ、おまかせしたところ、平気な様子で帰ってきました。友達に助けられ、先生も注意の仕方など、私が実践していたようにやってくださったそうです。

 それ以来、学校が遠いため登下校の付き添いは行っていますが、それ以外は一人で学校生活を送っています。学校へ付き添っている間は、息子が6年間過ごせる居場所をつくってやるつもりでしたが、むしろ私の手を離れたこれからのほうが広く回りを見なければと思っています。そして、家庭でも学校でもいつか必ずできることを信じ、あきらめることなく、理解できていなくても言い続けること、やり続けることが大切だと思います。そして、困った時や悩んだ時にはエルベテークがあるという安心感は何物にも代えられません。

 「一生話せない」と言われた息子は学校であったことを教えてくれるまでに成長しました。「2学期になっても、私が思っていた以上に落ち着いて指示を聞いています。校外学習にも付き添われる必要はまったくありません」と担任の先生より言っていただきました。まだまだ課題はありますが、「頑張ってきて本当によかった」と思っています。


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