Tさん 19才 社会人(年少7月入会 自閉症)
前号に引き続き、「保護者の声」シリーズの新しい試みとして子育ての<過去と現在>に焦点を当てた保護者による成長の記録を紹介します。Tさんには10年前( Tくんが小学校3年生の時)に「保護者の声」に幼児期からの様子を書いていただきました。現在、同じような年頃のお子さんを抱える保護者の方の子育てにも大いに参考になると思います。そこで、10年前の文章と現在の様子を改めてまとめていただいた文章を2つ並べてみることにしました。その成長の道筋をご確認ください。
息子は家庭でも学校でも着実に成長
独り言が減ると、指示が通るようになった
現在小学3年生の息子は、エルベテークに通い始めてから5年になります。1歳のころから、名前を呼んでも振り向かない、後追いをしないなど、「どこか変だな」と思っていました。すると1歳半の健康診断で発達の遅れを指摘され、心理相談を受けて親子教室での療育を勧められました。そして、2歳のときに「自閉症」と診断されました。その後すぐ転勤になり、引越し先の公的機関で改めて診察を受けたら「広汎性発達障害および精神発達遅滞」との診断でした。そこで、公的機関での個別とグループの療育を受け、4歳からは併設されている心身障害児通園施設に親子で通い始めました。
そのころの息子は、会話はできず、ずっと独り言を言い続けていました。療育施設では、「独り言でも言葉が出ている」とほめてくださいましたが、将来社会に出ることを考えると、「こんな状態でいいのか」と不安で仕方がありませんでした。そんな時、同じ療育施設に通っているお母さんからエルベテークのことを聞きました。すぐに資料を取り寄せ、相談会をお願いしました。
その相談会の場で、息子が先生の指示に従って素直にブロックを並べたり、文字を書いたりする様子を見て驚きました。これまで自分のやりたいことだけをして大人の指示に従ってやるということがほとんどなかったからです。また、「独り言を放っておいて独り言がなくなることはありません」との先生の話に、このままでいいのかと長い間悩んでいた疑問が解けて、入会を決めました。
それから毎日家庭でも、手で息子の口を押さえるなどして黙ることを教えたりして、独り言をやめさせようと一生懸命取り組みました。最初はどうしてもやめられず、止められると激しく泣いてしまうこともありました。療育の先生方や家族など周りから「そこまでしなくても」ともいわれました。しかし、このままではなにも変わらないと思いあきらめずに続けた結果、注意されると少しずつやめられるようになって独り言が減っていきました。それとともに、やっと私たちの目を見て話を聞き、指示を理解することができるようになり、学習を最後までやり遂げられるようになってきたのでした。
少しずつできることが増えてきた学校生活
そのように成長していったので、年中からは幼稚園にも通い始めました。しかし、最初はクラスに入ることもできず、制服も着ない状態でした。3ヵ月ほど付き添いながら、根気よくひとつずつクリアしていきました。しかし、先生の指示を聞いて行動することはできず、自分のやりたいことをして過ごしていることがほとんどでした。
年長になっても、まだ心配なことがたくさんありました。 10月の就学時健康診断ではそれらの問題がそのまま現われ、いろいろな検査を受けることができませんでした。その後の就学相談で、特別支援学校への入学を勧められました。しかし、エルベテークでの学習を通じて、時間はかかるものの一歩一歩確実に成長していけることを確信していましたし、息子の社会性を育てるのに、できることなら普通学級への入学を考えていました。そこで、1月の終わりまで入学先の判断を待ってもらいました。そしてその間の息子の成長をみていただいた結果、普通学級へ入学できることになりました。
入学前には学校側に「指導上ご配慮いただきたいこと」をレポートにして提出するようにエルベテークからアドバイスをいただき、夫婦で学校に出向き校長先生との面談をすませました。それでも心配していた通り、入学式で息子は落ち着かず、じっと座っていられずに立ち歩くなど不安いっぱいのスタートでした。
事前にレポートを読んでいた担任の先生から、「お母さん、しばらく付き添ってもらえますか」というお話がすぐにあり、そこから親子での通学が始まりました。妹の幼稚園行事があるときなどは、父親が付き添いました。
最初のころは、座っていられず離席したり教室から出てしまったり、ノートやプリントにずっと落書きをしたりしていました。付き添って一緒に通うなかで、してはいけないことはきっぱりとやめさせ、わかりやすく声かけすることで、息子はできることが少しずつ増えていきました。その様子を見ていた先生やクラスの子どもたちが息子にうまく声をかけてくれるようになり、次第にクラスの中に溶け込んでいきました。また、エルベテークでの学習を通して、音読、漢字、計算などの学習に一生懸命取り組めることを、担任の先生は高く評価してくださいました。
担任の先生との信頼関係を築く
しかし油断大敵です。2学期に、息子が友だちの家からいなくなる事件が起きました。気がつくと息子の姿が見当たらず、ご近所だけでなく、学校の先生や幼稚園の時にお世話になった先生方、地区の自警団や消防団の方々など多くの方に捜していただき、警察にも捜索願を出すことになりました。するとその夜遅く、自宅から 100キロ以上離れた横浜市内の警察署から息子を保護したとの連絡があり、迎えに行きました。ひとりで電車を乗り継ぎ、横浜まで行ってしまったのです。その時は心配で生きた心地がしませんでした。それでも2学期の終わり頃には、登下校だけの付き添いになっていました。
2年生になると担任の先生が変わり、息子は戸惑うことが多かったようです。しかし、先生から学校の様子を細かく知らせていただき、問題があった時には家庭でどう対応しているかを先生にお伝えするようにしたことで、家庭と同じように学校でも指導していただけるようになりました。2学期には、自分から周りの状況を見て気づいて、集団に合わせて行動できることが、どんどん増えていきました。そして2年生の終わりには、先生から「着実に成長していることがよくわかり、私も接するのが楽しかった」と言っていただきました。
3年生になり新しい担任の先生は「よくがんばっていると思います」と言ってくださっています。しかし私たちはその言葉に甘えることなく、クラスのお友だちからも授業中の息子の様子を聞いたりしながら、家庭でもよりいっそうしっかりと指導するように心がけています。
まだまだ課題は多く、今は「姿勢を正すこと」に重きをおいて、「目を見て話すこと」、「学校とエルベテークの宿題はきちんと丁寧な字で書けるまでやり直しをする」といった約束を思い出させながら学習させています。これまで学校で困ったことが起きた時、不安に思うことがあった時、些細なことでもエルベテークに相談して、適切な助言をしていただいたからこそ、担任の先生との信頼関係が築け連携できているのだと思います。
毎日元気よく出勤する息子の姿は13年間の努力の結晶
独り言をしゃべり続ける息子への取り組み
息子は現在19歳です。地元の特別支援学校高等部を昨年の3月に卒業し、4月より一般企業に就職して丸1年になりますが、毎日元気に出勤しています。幼少期の息子からは、想像もできない今の姿です。小さい頃は、目が合わない、呼んでも振り向かない、外出時にはどこに行ってしまうかわからず、ひと時も目が離せない子供でした。
2歳半には、「自閉症」「精神発達遅滞」という診断を受け、市の療育機関に通いました。そこで出会ったお母さんから、初めて「エルベテーク」の名前を聞きました。障がいのある子供を教育してくれる教室だと聞き、さっそく入会しました。
その頃の息子は、会話はできず、ずっと独り言をしゃべっていました。療育機関では、「独り言でも言葉が出てきたのだから成長している」と言われました。しかし、このまま大人になってもしゃべり続けるのではないかと、不安でいっぱいでした。
エルベテークからの「このままで独り言がなくなることはありません」というアドバイスから、家庭での取り組みが始まりました。独り言が出始めたら、息子の目を見て「しゃべりません」と毎日繰り返しました。「そこまでしなくても」と周りから言われることもありましたが、最初は手を添えて口を閉じるところから教えました。すぐにやめられることはありませんでしたが、あきらめず伝え続けるうちに、自分でもしゃべっていることに気づき口をキュッと閉じるようになりました。今では独り言が出ることはほとんどありません。
家庭での学習では、息子といっしょにエルベテークの宿題に取り組み、ひらがな、漢字、たし算、ひき算とできるようになっていきました。漢字など筆順はもちろん、とめ、はね、はらいにも気をつけ、きちんと書けるまでやり直しました。文字についてはその頃から現在に至るまできれいな字だとほめられます。
学校との良好な関係づくりのために夫婦でやったこと
小学校は普通学級を希望し、入学時には教室からアドバイスをもらい、入学前に教頭先生にアポイントを取り、息子と主人と3人であいさつに伺いました。対応してくださった教頭先生に、息子について聞かせてほしいと言われたとき、用意した文書「現在の子供の様子と指導上ご配慮いただきたいこと」を渡しました。教頭先生はそれを読み終えた後、何も聞かず「このまま担任に渡します」と話され、ほっとしたのを思い出します。
それから1年生の2学期まで私が付き添い、学校でのルールを覚えていきました。その後、参観日は必ず夫と二人で参加し、PTA役員も引き受けて、学校に出向く回数を増やし、息子の様子を確認したり、先生とお話をする機会を作ることで、学校との良好な関係を築くことができました。学校の宿題やエルベテークの宿題は、声をかけいっしょにやっていましたが、少しずつ自分一人でできるようにうながして、できたら確認をするようにしました。
小学校を卒業するタイミングで、夫の仕事で愛知県への転勤が決まりました。小学校では6年間普通学級でしたが、中学校からは環境も変わるので特別支援学級を選択しました。
エルベテークには月に一度土曜日に通い、まとめて時間をとっていただくことで学習を続けることができました。予想通り中学校では慣れるのにかなり時間がかかりました。中学校の学習内容もずっと難しくなっているので、息子が取り組めるところをエルベテークで宿題にしていただき、コツコツと学習していきました。
教室での学習の成果が就職に結びついた
中学卒業後の進路について、高等特別支援学校と地域の特別支援学校の高等部を考えました。高等特別支援学校の体験授業に参加しましたが、言葉でのコミュニケーションがスムーズにできないこともあり、地域の特別支援学校の高等部に進みました。
入学式の次の日から、電車での通学が始まりました。中学校では歩いて10分もかかりませんでしたが、電車を乗り継ぎ1時間ほどかかる形に変わりました。入学前には、電車内でのマナーも含め、電車に乗り、駅での乗り換えや、徒歩のコースを何度も練習しました。それでも、とても不安だったのを覚えています。高等部の3年間が過ぎてみれば、1日も休むことなく通学できました。
高等部での部活はフライングディスク部でした。小さいときから体を動かすことが苦手でなかなか上達しませんでした。2年生になったころから少しずつ上達し、練習を積み重ねて、3年生の最後の大会の団体戦では活躍することができました。指導の先生方や応援の先生方もとても喜んでくださいました。
高等部1年生の時には、全体に対する指示が息子に伝わらない、通らないという指摘を受けました。あらためて家庭では話をしている人の顔を見るところから練習し直し、2年生になるころには、そのような指摘をされることはなくなりました。
また、高等部に入ってすぐに学校で「漢字検定があるので受けないか」と声をかけていただき、3年間で4級まで合格しました。漢字は小学校の頃から練習を続けてきたもので、能力を周囲に理解してもらうのに役に立ちました。
特別支援学校では、就労に向けて1年生から校内作業実習があり、2年生からはその校内実習に加え校外実習、3年生では就職先への実習と進んでいきます。実習で先生方がチェックされるのは、あいさつや返事ができるか、時間内を最後までがんばることができるか、失敗した時やり直すことができるか、ということです。
これは、河野代表が書かれている「周囲から評価されるポイント」の3点、
1.あいさつと返事がきちんとできる
2.指示やアドバイスを受け入れる素直な気持ち
3.へこたれずに物事に取り組む姿勢そのままでした。
3年生になるころには、先生からはこの3点について心配はないと言われていました。小さい頃からエルベテークの学習を通して身につけてきた力のおかげで、通った特別支援学校ではこれまでほとんどなかった一般企業への実習が決まりました。
社会人としての頼もしさ
実習の期間中に実習先に見学に伺ったとき、正門の守衛の方に「いつも元気にあいさつしてくれますよ」と声をかけていただきました。
実習先からの評価も
・いつもきちんとしたあいさつができる
・任された仕事は一生懸命きちんとできる
・間違えた時には「すみません」と言える
・字もきれいで、ていねいに書けるといった好意的な評価をいただきました。
その後、早い段階で内定をいただきました。そして、コロナ流行の影響もなく、4月から働き始め1年近くたちました。毎日元気よく、「行ってきます」と言って出ていく息子の後ろ姿が、以前に増して頼もしくなったように思います。
勤務先の会社の方からも「いつも気持ちのよいあいさつをしてくれて、元気をもらっています」という言葉をいただきました。今後はもっと努力して、より会社に貢献できる存在になってほしいと願っています。そして、これからも、家族で息子を応援していきたいと思います。
今振り返ると、マイペースな息子ですが、エルベテークに通う中で「してはいけないこと」「しなくてはならないこと」を理解し努力して多くの力を身につけていったのを感じます。こうして私たち親子を13年近く支えてくださったエルベテークの皆さまに心から感謝しております。今後、一人でも多くの子供たちがエルベテークで力をつけ、社会で活躍できることを願っております。