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指導事例

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Wさん 高校1年生 (2才6ヵ月入会 自閉傾向のある広汎性発達障害)

周りの偏見に負けず教育の可能性を信じた親子の成長

「改善できないはずはない」という親の強い気持ち

 息子の様子を見ていて、なにかがおかしいと感じるようになったのは、1歳を過ぎたころだったと思います。遊んでいるときの声の出し方や、しぐさなどに、上の子の時とは違う、説明しがたい違和感のようなものがあったのです。けれども当時は発達についての知識も乏しく、確証の持てないまま、様子を見るばかりでした。

 2歳になったときに、新聞で、発達障害のお子さんについての記事を読み、思い当たることがあまりにも多かったので、すぐに近所の小児科に相談しました。その時点で、言葉はほとんど出ず、視線も合わず、こだわりが強くて、玩具にも興味を示しませんでした。体の発育はよかったのに、強いパニックのために手を引いて外を歩くことが難しいので、常に抱っこで移動していました。

 小児科での診断は、<自閉傾向のある広汎性発達障害>というものでしたが、息子の脳のなかで、いったい何が起きているのか、命にかかわるようなことはないのか、確かめなくてはならないと思い、大きな病院に相談して、さまざまな検査を受けました。

 その結果、頭蓋骨の奇形、大脳全体の発達の遅れ、局部的な血流の悪さ、小脳の一部の発育不良など、思いもよらない異常がいくつも見つかりました。「すべて、原因は不明。命の危険はないけれども、治ることもなく、医学的な治療や療育指導などで改善されることもないだろう」というのが、脳を専門とする先生方の結論でした。

 検査結果については、たいへん重い事実として受け止めざるを得ませんでした。

 けれども、このまま改善されることがないとは、私には、到底信じられませんでした。息子の日々の暮らしは、パニックやこだわりために、混乱で埋め尽くされたような状態でしたけれども、「いろいろなことが、できるようになりたい」と望む気持ちが、垣間見えることが、確かにあると思えたからです。絵本を読み聞かされることは嫌がりましたが、自分から文字を目で追うことは好みました。

 1歳上の姉が親のパソコンで遊んでいると、そばに寄って、食い入るように見ていることもありました。刺激の強いものや、慣れない新しいものに触ることを恐れるこだわりのせいで、すぐに姉の真似することは出来なくても、心の中で「自分でもやってみたい」と思っていることは、自然と伝わってきたのです。

 なにかをやりはじめると、どれほど難しくても、できるようになるまで何カ月でもトライしつづける根気のよさもありました。その粘り強い努力家としての性格は、高校生になった今も、少しも変わりません。

「重い障害を持っていても必要な教育の機会を与えてやりたい」

  この子の成長のために必要な教育の機会を、ぜひとも与えてやりたい、重い障害を持っていたとしても、少しでも豊かな可能性を見いだせるようにしてやりたいと思いながら、手当たり次第に、脳の発達や、障害児教育についての本を読み、試行錯誤する日々が始まりました。
 ところが、療育によって力を伸ばしてやりたという私の思いは、周囲の方々には、否定的に受け止められることがほとんどでした。

「障害のある我が子を、ありのままに受け止められないのは、親のエゴでは?」
「何もできなくても、愛されて生きていければ、それで幸せだと思うべき!」
「読み書きの訓練みたいなことは、こういう子には、無意味だし、かわいそう!」
 これらの言葉は、障害のあるお子さんの親御さんや、障害児の福祉や教育にたずさわる方々の口から出たものです。中には、早期教育について、強い怒りをもって否定してくるような方もいらっしゃって、ほんとうに参りました。

 我が子の成長を願って療育をするということは、それほど悪いことなのかと、何度も考えました。けれども、どう考えても、それは必要なことと思えました。生まれつきの障害があったら、努力しても成長できないなどと、一体誰が決めたのでしょう。大怪我をした人はリハビリをしますし、病気で体力を落とした人も、療養に努めます。回復の努力を諦めてしまえば、人生の可能性は狭まります。生まれ持った障害であっても、それは同じことだと思いました。

 やはり療育を受けさせてやりたい、息子の診断名や障害の重さのランクで判断するのではなく、親である私たちと一緒に、ありのままの息子本人を見て、成長の可能性を見出してくださる教育の場と出会いたいと願っているときに、エルベテークの教室の存在を知りました。最初は電話帳で見つけたのだったと思います。まず電話でお話を伺い、続けられるかどうか、息子と一緒にがんばれるかどうか、考えられるだけ考えた上で、面談を受けさせていただきました。

 その日のことは、いまも鮮やかに覚えています。担当してくださった先生は、どんな小さなことも見逃さないような気迫と包容力で、息子の抱える難しさ、苦しさと、正面から向き合い、成長の芽を探してくださいました。それまで相談した場では、そのように息子を見てくださった方は、一人もいませんでした。「この教室ならば、きっと一緒にがんばっていける」と確信し、2歳半での入会を決めました

地道な学習の積み重ね、そして自分の感情を鎮める力

 それからの13年間は、とても語りつくせないほどの成長のエピソードに満ちています。
 入会時には発語がなく、オウム返しすらしなかった息子が、エルベテークでの帰りのときの挨拶で、先生の口の形を見ながら、「ありがとうございました。さようなら」と、一音一音、発声できるようになったのは、5歳になったころだったかと思います。言葉の世界に一歩踏み出した息子の姿を見て、どれほど嬉しかったかわかりません。

 字の読み書きなど生涯出来ないだろうと言われていたのに、さまざまに工夫された、粘り強いご指導によって、小学校に上がるころには、ひらがなや数字を自分で書けるようになっていました。

 小学校の特別支援学級に入学後は、息子よりも能力が高く、発語もしっかりした子どもたちの中に入って、やっていけるのかどうか、ほんとうに心配でしたけれども、担任の先生方やクラスの仲間と、息子なりの信頼関係を結びながら、予想したよりもずっと豊かな学校生活を送ることができました。

 毎年の演劇発表会で、最初のころは、ただ舞台の上に立つだけで、声を出すこともできなかった息子が、高学年になったときには、マイクに向かって台詞を言うことができるようになっていました。幼児期からの、地道な学習の積み重ねこそが、学校生活のいたるところで生かされ、息子の可能性を開いてくれたのだと思います。

 特別支援学校の中学部に進学してからは、思春期にさしかかったためか、原因のよくわからないまま精神的に不安定になることも、たびたび出てきました。けれども、どんなに混乱していても、自分で感情を鎮めようと努力し、周囲の人の言葉に耳を傾けようとする力が育っているため、完全にコントロールを失うことは、まずありませんでした。

 また、小さいころから続けてきた読み書きの練習は、息子の心を安定させる、大きな支えになっていました。落ち着かないときには、自分から、「お勉強する」と声をかけてくることも増えていました。

就業準備のための実習活動に取り組む

 あの東日本大震災のときには、我が家も強い揺れに見舞われ、中学生になっていた息子は、ショックで食事もうまく取れなくなりました。私自身も気落ちしてしまい、外に出ることに不安を感じて引きこもっておりましたが、エルベテークからお電話をいただいて、いつも通りに学習するようにと勧めていただき、そのようにしたところ、息子は安心したのか、早目に日常を取り戻すことができました。

 息子は今年、支援学校の高等部1年生になりました。学校では、学科の授業のほか、将来的な就業の準備として、さまざまな実習活動に取り組んでいます。現在の目標は、自立して長時間の作業に取り組み、必要に応じて報告ができるようになることです。

 まだまだ難しいことはたくさんありますが、頑張り屋の息子のことですから、卒業までのあと二年で、きっと大きく成長してくれると確信しています。13年間、息子とともに歩んでくださり、人を、そして世の中を信頼する心を大きく育ててくださった先生方とご一緒に、これからも親子でがんばって参ります。


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