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季刊誌―エルベテーク

2017年 新年号 巻頭言 子どもの教育についての考察 「いい子」に育てること

「いい子」に問題があるのでしょうか?
 暴力やいじめ・不登校などの事件・問題が発生するたびに、いわゆる専門家がそれらの子どもたちを評してよく口にするのは、「家では従順でいい子だった」「家では手がかからない子だった」などの言葉です。要するに、家では「いい子」を演じて学校では問題行動を起こす子どもが多く、関係者はその発見や対応に苦しんでいると指摘するのです。そして、あたかも「いい子」自体に問題が潜んでいるかのような、また「いい子」に育てようとすることに原因があるような結論へ誘導するケースが少なくありません。
 いま、この類いの言葉・表現がいろいろな専門家から語られます。そのため、一般の人は決定的な間違いや勘違いに気づかないまますんなり受け止めているようです。
 どこがおかしな点でしょうか? (1)「いい子」について一面的・表面的捉え方になっているにもかかわらず、あたかもそれが一般的であるかのように語られている点 (2)たとえ専門家の言うような意味で「いい子」をとらえたとしても、学校で問題行動を起こす子どもなら、家庭でもなんらかの兆候・片鱗を示しているはずであり、それが見逃されている点 主にこの2点です。
「いい子」を冷ややかに語る不誠実・不見識
 (1)についていえば、多くの専門家は「いい子」という言葉を否定的・嘲笑的なニュアンスで語ろうとします。しかし、本来、「いい子」とは単に問題を起こさない子どもや従順な子ども、あるいは成績のよい子どもという意味だけではないでしょう。 むしろ、やるべきことに自ら取りかかり、困難があっても最後までやり遂げようとする意思をもつ子どもを意味するはずです。同時に、周りの人に対してはあいさつをはじめ、適切で気持ちの良いコミュニケーションを自分なりに心がけようとする子どもを指すはずです。 はたして専門家はこうした積極性や思慮深さまで踏まえたうえで、「いい子」という言葉を使っているでしょうか? 「いい子」の価値をわざと落として、軽んじていると思わざるをえません。
 ここで改めて、「いい子」はいったいどんな大人に育つだろうかと考えを巡らせると、私たちが向かうべき方向が明確になります。 いま、前向きな姿勢をもつ「いい子」が100人いたとします。なんらかの理由で「よくない大人」になってしまう子どもも中にはいるでしょうが、ほとんどは「よい大人」になるでしょう。それに対し、姿勢を改めなければならない子どもや課題をもったままの子どもの中から、どれだけが前向きな姿勢をもつ大人へと成長するでしょうか? 確率的にどちらの可能性が高いのか低いのか、わかりきったことではないかと思います。 このように考えていくと、専門家がなにか「いい子」に問題があるかのように議論を進めること自体、きわめて不誠実で不見識だと言わなければなりません。本当の意味での「いい子」に育て「いい大人」になるよう仕向けていくのが教育の本質ではないでしょうか。
 (2)についても同様です。家庭での兆候が見過ごされていないでしょうか。背景には、大人の曖昧で不適切な観察・評価が存在するように思われます。 実は、子どもにとって学校と家庭の壁はそれほど大きくありません。「家でできていないことが外でできるわけがない」との言葉があるように、学校で起こす問題行動は必ずといっていいほど家庭でも見られるにちがいないのです。 たとえば、相手のことなどおかまいなしに自分の好きなこと・やりたいことに夢中になる。自分の思いを話さないと気が済まないとばかりに場所・時間に関係なく喋る、あるいは家族のそばを離れず、いつも一緒にいたがる。いっぽう、嫌いなこと・やりたくないことには目を向けようとしない。そして、泣いたり嫌がったりするけれど、自分の興味のあるものを差し出されると、とたんに機嫌を取り戻す……。 家庭では手がかからない、従順な「いい子」に見えたとすれば、親がその場しのぎの対応で子どもの気を紛らわしていたにすぎなかったのではないでしょうか。つまり、大きなトラブルに発展していなかっただけで、兆候が見過ごされていたのではないでしょうか。 家でも悪い子だったと決めつけるつもりはありません。ただ、実際には「いい子」とは言えない状態だったのではないかとあえて指摘したいのです。結局、自分本位という幼さの兆候・名残りが見過ごされたか、意識的に隠されて語られたかのどちらかではないかと推測されます。
 よく知らないことから誤解と勘違いは生まれる
当の子どもや家庭のことをよく知らないにもかかわらず、子ども自身や親の言葉だけを頼りに専門家が軽々しく解説しようする時、子どもの教育をめぐるこのような誤解や勘違いはさらに深刻になると思います。同時に、「いい子」でありたい、「いい子」へ導きたい、そのためにきちんと教わりたい・教えたい、そんな親と子、または教師と生徒のまじめで当たり前の思いを冷ややかに見る風潮が広がるのではないかと危惧します。それは教育の危機だと言えるのではないでしょうか。 「こんないい子に育てたい」「こんないい子はいない」と素直に「いい子」と言える状態こそ大人がめざすべきものではないでしょうか。


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