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季刊誌―エルベテーク

2014年 秋季号 歴史という知恵【2】 先人の教えから教育を考える

 「すべての学問の目的は徳を修めることに通じている。善を勧め悪を避けるように教えてくれる学問を選ぶがよい」

 「最初に道徳があり、事業はその後にあるのであります。後者を前者に先立ててはなりません」

引用した本■『代表的日本人』(内村鑑三著、鈴木範久訳/岩波文庫)

 『代表的日本人』の中で内村鑑三が取り上げた5人の人物はいずれも誠実にして謙虚で、自分本位の主義や利益に囚われることなく、人としての普遍的な目標へ向かって行動した人たちでした。まさに、偉人あるいは聖人と呼べる人たちです。
 それだけに、彼らは教育に対しきわめてシンプルな考え方をもっていました。同時に、周りの意見を聞き、焦らず、自分の実力をつけながら時機が熟すのをじっくり待ち、一つひとつ成果を積み上げるという忍耐強さを最後まで失いませんでした。
 そこに、子ども(もちろん大人も)の教育を考える際のヒントがあるのではないかと感じます。

 西郷隆盛(1828~1877年)の次に取り上げられる上杉鷹山(1751~1822年)は、江戸時代中期の米沢藩主で数々の施策や善行によって名君として語り継がれています。
 彼の使命はただ無事に藩主を務めるだけでなく、実のある改革に取り組むことにありました。かつて大きな勢力を築いた時代に肥大した藩の組織や慣習、そして領民の意識を現状の身の丈に合わせて改めなければならなかったのです。負債は巨額にのぼり、破産する領民の数も少なくなかったといいます。
 鷹山は知恵をめぐらしました。藩の秩序を回復するためにどうすればいいのか、と。しかし、焦りません。まず、自ら衣服や食事をつましくしたり手当てを半減したりするなど、倹約を率先し、家来たちにも奨励しました。
 また、現場の責任者の権限と役割を明確にしました。つまり、地域社会の中で行政の監督を行なう担当者、受け継がれてきた慣習や教えを領民に伝える担当者(郷村教導出役と呼ばれましたが、まさに暮らしの中の教師にあたります)、そして領民の不正や犯罪を取り締まる担当者などの専門職を配置したのです。さらに、産業改革の一環として農業(その事業の中には絹の生産や関連する土木工事、農業組合の設立も含まれています)を復活させ、同時に教育や医学の整備を図りました。
 荒地や怠け者の領民を前にして嘆くのではなく、あるもので工面し、同時に責任をもって目標をたて人々の意欲を高めていきました。要するに、まず人を育てることを改革の基本に据えたのです。

 実は、上杉鷹山は九州の高鍋藩(現在の宮崎県高鍋町周辺を治めていた藩)から言葉も風習も気候も大きく異なる米沢藩の世継ぎとなりました。そして、藩主としての役割と責任を自覚して領地に入るまでに2年、そして自らが練った施策を成し遂げるまでに実に長い長い月日を要しています。数多くの困難にめげることなく、やり遂げる意志を持続させているのです。私たちはこの辛抱強さにも着目したいと思います。
 書き手の内村鑑三も驚きを率直に表明しています。「このような状態(注 さまざまな分野での倹約)を一六年間もつづけることにより、どうにか重い債務から脱することができるのであります!」(P60)、「後者の事業(注 固い岩盤におよそ360メートルのトンネルを掘る工事)は、鷹山治世の二〇年間を要し、鷹山が領内に貢献した最大の仕事でした」(P66)と指摘するほどです。
 このように、意思を持続させるために欠かせないもの、原動力となりうるもの、それは道徳であることを鷹山はよく知っていました。上京する孫娘にあてた手紙の一節です。

「すべての学問の目的は徳を修めることに通じている。そのため、善を勧め悪を避けるように教えてくれる学問を選ぶがよい」(P76)

 「徳を修める」とは、道徳の教えを唱和し、断片的な知識として道徳を知ることではなく、その人自身が教わりながら自分で「正しいこと」「良いこと」「やるべきこと」「望ましいこと」を理解し、その通りに取り組み、反対に「間違っていること」「悪いこと」「やるべきではないこと」「望ましくないこと」についてはそれらを排除する力(厭う力)を生活の中で(失敗と成功の繰り返しの中で)身につけることではないでしょうか。
 鷹山の言葉もまた、徳を修めることがすべての学問・教養の基盤になるのだと指摘しているように思われます。

 二宮尊徳(1787~1856年)は上杉鷹山の子どもの世代にあたります。江戸時代が終わりを告げようとする時代にあって、日本人の考え方・生き方がどのように受け継がれていたかを知る上でも参考になると思います。
 二宮尊徳といえば、籠を背負いながら勉学に励んだ金次郎少年の姿が一般的には知られます。しかし、成長してから優れた農民指導者としての実力を発揮しました。「混乱を整え、荒地を沃地に変えようとする試み」というのが彼の仕事でしたが、その原動力は「忍耐と信念と勤勉」でした。
 幕府から利根川下流の手賀沼と印旛沼の排水事業について計画を命じられた時、尊徳は報告書の中に次のような味わい深い文章を書きました。

「当面は、『仁術』を用いて、やもめを慰め、みなし児を保護し、今の道徳なき民を道徳的な民に変えることが必要であります。いったん人々が誠実の念を取り戻しさえすれば、あとは山をうがち岩をくだくことも望みのままになるでありましょう。たとえ廻り道のようにみえても、それが最短にしてもっとも効果的な道であります。植物の根には、花も実もことごとく含まれているではありませんか。最初に道徳があり、事業はその後にあるのであります。後者を前者に先立ててはなりません」(P107~108)

「たとえ廻り道のようにみえても、それが最短にしてもっとも効果的な道であります。」

 ここに教育の本質と意義が語られているのではないかと思います。

 『代表的日本人』はこれほど素晴らしい内容ですから、教材として活用するのも興味深いことです。内容を子どもなりに整理すれば、立派な年表づくりや歴史、国語などの学習になることでしょう。また、この5人のようにいまでは忘れられた、あるいはよく教わっていない偉人・聖人は各都道府県に1人や2人いや何人も、きっといるはずです。そんな偉人・聖人探しが子どもの身近な道徳教育につながるのではないでしょうか。

 それにしても、この5人に焦点を当て、その生き方と言葉を見事に取り出してみせた内村鑑三の力量には並々ならぬものがあります。道徳、信仰、教育、政治、文明などに関するたくさんの著作を残していますし、今後、機会があれば、内村鑑三自身の言葉を紹介したいと考えています。


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