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季刊誌―エルベテーク

2012年 秋季号 本はみんなの教室【31】 『ヘレン・ケラーはどう教育されたか ―サリバン先生の記録―』 『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』

教える時にもっとも大事な視点とは

■紹介する本 『ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録―』(サリバン著、槇恭子訳/明治図書)
          『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』(ヘレン・ケラー著、小倉慶郎訳/新潮文庫)

 いわゆる障害児教育の古典とも言える2冊の本を読み、「効果的な教え方の第一歩」を考えて見ましょう。
 「障害児教育」の古典として知られ、現在まで読み継がれているのが、『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(「サリバン女史の手紙」「ヘレン・ケラーの話し方について」)と『ヘレン・ケラー自伝』の2冊の本です。前者は教える側のサリバン先生(本名アン・マンスフィールド・サリバン、1866~1936年)が記録したものであり、後者は教わる側のヘレン・ケラー(1880~1968年)が女子大生だった22歳の時に著したものです。


 いずれの本にも、目が見えない・耳が聞こえないというハンディを抱えた子どもだけでなく、発達上のさまざまな遅れを抱える子どもや一般の子どもに対しても示唆に富む接し方や教え方が示されています。


 今回は、古典が明らかにする教育(学習)の本質について考えてみたいと思います。


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 この2冊の本が「障害児教育」の古典となったのは、やはり、ヘレン・ケラーという一人の女性が努力しハンディを克服しながら驚くべき成長をしたこと、さらに大人になってからの、目や耳が不自由な人たちへのバイタリティあふれる社会活動が尊敬を集めているからです(日本にも3回やって来ました)。


 よく知られているように、ヘレン・ケラーは幼児期の病気が原因で目と耳が不自由になり、言葉や文字を知らない生活を送っていました。そして、サリバン先生もまた子どもの頃にほとんど目が見えなくなるという経験をした女性です。幼少の折に、母親と死に別れ、施設での貧しい生活を余儀なくされましたが、盲学校で学びました。その後、手術によって視力がかなり回復したサリバン先生は、盲学校を最優秀の成績で卒業した20歳の時に、盲学校の校長の紹介で7歳のヘレン・ケラーを教えることになります。

 ヘレン・ケラー自身は、サリバン先生の指導を受けて自分の成長があったことを率直に述べています。「サリバン先生は、あまりに身近にいるから、私と先生を切り離して考えることはほとんど不可能だ。美しいものに感じる喜びのうち、どれだけが生まれつきの感受性で、どれだけが先生の影響を受けたのか区別をすることはできない。先生の存在は、私とは切り離せない。この半生をサリバン先生とともに歩いてきたと思っている。私の最良の部分はすべて先生のおかげなのだ」(『ヘレン・ケラー自伝』56~57ページ)

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 サリバン先生とヘレン・ケラーの名前は一体のものとして理解されています。「奇跡の人」というタイトルの映画や舞台でも、ハンディを克服しようとする2人の生き方に焦点を当て、ドラマチックなストーリーを演出しているようです。たとえば、ヘレン・ケラーが初めて文字を覚えるエピソードはあまりにも有名です。「water(水)」と「mug(湯のみ)」という単語の違いがわからなかったヘレンに対して、サリバン先生は井戸のある庭に彼女を連れ出し、一方の手に冷たい井戸水に触れさせ、一方の手に指で「w-a-t-e-r」と綴ったのです。


 「私はじっと立ちつくし、その指の動きに全神経を傾けていた。すると突然、まるで忘れていたことをぼんやりと思い出したかのような感覚に襲われた―感激に打ち震えながら、頭の中が徐々にはっきりしていく。ことばの神秘の扉が開かれたのである」(『ヘレン・ケラー自伝』34ページ)


 まさに、ヘレン・ケラーの転機となったエピソードですが、実は、『ヘレン・ケラー自伝』によると、その少し前、いらいらしたヘレン・ケラーは近くの人形をつかんで、床の上に思い切り投げつけたようです。そして、人形のかけらを暖炉の片側へほうきで履き集めるサリバン先生の様子を感じりとり、せいせいした思いでいたようです。ヘレン・ケラーは自分自身でもどうしようもできず、感情を周りにぶつけていたのです。


 ところが、サリバン先生は冷静でした。帽子を持ってきて、外に出て暖かい日差しを浴びようとヘレン・ケラーを誘ったのです。この時すでに、サリバン先生には、水という具体的なものを使って文字を教えようという意図があったと思われます。なんと見事な導き方でしょうか。


 1887年3月の出会いから綴られている「サリバン女史の日記」には、この日の出来事がこう書かれています。「ヘレンは、彼女の教育で大事な第二歩を踏み出しました。彼女は、すべての物は名前をもってることと、指文字が自分が知りたいすべてのことへの手がかりになるということを学んだのです」(『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』31ページ)


 それからたった数時間のうちに、ヘレン・ケラーは手に触れる物の名前をすべて覚え、「teacher(先生)」「baby(赤ちゃん)」「door(戸)」「open(開く)」「go(行く)」など、30もの新しい単語を覚えたのです。教わる側にも教える側にも感動的な瞬間だったことが推測されます。以後、サリバン先生の献身的な指導によって、ヘレン・ケラーは言葉を覚え、使い、話せるようになっていきます。

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 ところで、サリバン先生の言葉をよく読んでみたいと思います。そこには「第二歩」と書かれています。ではいったい、第一歩とはなんでしょうか。実はそこに教育のもっとも重要な本質があると思います。

 ヘレン・ケラーという、両親からかわいがられ、自分本位の世界にすっかりなじんでいた子どもを教える際にサリバン先生がもっとも重要視していたこと、それは「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です」という一文の後に示されています。


 「彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう」(『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』13ページ)


 「彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なことが、私にははっきりわかりました。私はそのことについていろいろなことを考えましたが、考えれば考えるほど、服従こそが、知識ばかりか、愛さえもがこの子の心に入っていく門戸であると確信するようになりました」(『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』19~20ページ)


 「この小さな野生児は、服従という最初の教訓を学び、そして、拘束が楽なものだと気づきました」(『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』25ページ)


 「従順さ」「服従」「拘束」がポイントです。強い言葉だけに抑圧的な響きを感じるかもしれません。しかし、エルベテークが考える「教わる力」に置き換えてみるといいと思います。まず最初に、周りの指示や援助の言葉を理解して素直に受け入れ、我慢しながらやりとげようとする力(「教わる力」)を身につけさせることが教育でもっとも大切なポイントである、とサリバン先生も指摘しているように感じます。

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 それまでのヘレン・ケラーは、自分の感情をコントロールできない子どもだったと言えます。彼女自身そのことをうすうす感じていたにちがいありません。22歳になった彼女は当時を次のように振り返っています。


 「自分が悪いことをしているのはわかっていたと思う。私が蹴ると、子守り役のエラが痛がるのを知っていたからだ。怒りの嵐が静まると、後悔に似た気持ちが湧いてくる。けれども、自分の思い通りにならないと、こりずに癇癪をくり返すのだった」(『ヘレン・ケラー自伝』17ページ)

 「わずかな『身ぶり』では、ますます不十分になり、自分の思いがわかってもらえないと、かならず怒りが爆発した。まるで、見えない手が私を押さえつけているようで、その手をふりほどこうと、必死だったのである。私はもがいた??それで、事態が改善されるわけではない。それでも私の心は必死に抵抗した。たいていは、くたくたになるまで涙を流して泣きわめいた」(『ヘレン・ケラー自伝』26ページ)


 サリバン先生も、ヘレン・ケラーの言動をこう観察しています。「彼女には、やりたいかやりたくないかだけしかなく、ただそれだけでした」(『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』20ページ)


 サリバン先生は、ヘレン・ケラーの自分本位の言動に付き合わず、大人の言うことを聞くように教え、その関係をつくろうとしました。言い換えれば、ハンディのために自分自身をコントロールできずにいたヘレン・ケラーが変わり成長するための基盤を築こうとしたのです。それが、サリバン先生が強調した「従順さ」「服従」「拘束」という言葉の本当の意味だと思われます。


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 とはいえ、教えようとしてもなかなか教えられないのが現実です。サリバン先生は、「従順さ」「服従」を身につけさせるために、ひとつの決断を下しました。それは、ヘレン・ケラーを両親と離し、母屋から離れた別の場所で1対1で教えることでした。


 「なぜなら私は家族と一緒ではヘレンの教育はできないと考えたからです。家の人たちは、彼女が思いのままにふるまうことをいつも許してきたのです」(『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』19ページ)


 過去の思想家・哲学者の多くが指摘しているように、また日本の教育の歴史でも明らかなように、家族と一緒の状態を引きずったまま教えようとすると、どうしても甘えが入ってしまい、効果的な学習が成り立たないこと、継続されないことをサリバン先生も経験上よく知っていたのでしょう。


 一方のヘレン・ケラーは、幼かったこともあり、サリバン先生の情熱と努力についての具体的な言及は少ないようです。しかし、子どもなりに手ごたえを感じたことは間違いありません。


 「サリバン先生は、はじめて家庭教師として来た時から、耳が聞こえる普通の子どもと同じように私に話しかけてくれた。ただ、口で話す代わりに、指文字を使って、手に文字を綴ってくれたことが違うだけだ」(『ヘレン・ケラー自伝』45ページ)


 「しかしやり方は違っても、手にできる成果は素晴らしいものだ。ものの名前を覚えるところから、一歩一歩着実に前進していく。最初は、口ごもった片言にすぎなかったものが、長い訓練を経て、ついにはシェークスピアの作品を解釈できるまでになるのである」(『ヘレン・ケラー自伝』42ページ)


 そして、旧約聖書の言葉と思われる文章を引用し、教育の意義に触れています。「知識は愛であり光であり、未来を見通す力なのだ」(『ヘレン・ケラー自伝』3ページ)

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 ところで、現在でも発達の遅れを抱える子どもを前にするととたんに困難にぶつかり、「教えられない」と諦め、「教育や学習はあまり必要ない。無理させることはない」「むしろ遊びや身辺自立を大切にしよう」という結論に達するケースが少なくありません。


 しかし、親(大人)の伝えたことがきちんと子どもに伝わる、その指示にしたがって子どもが集中しながら物事に取り組み、やりとげるようになる、そうした力を身につけることは、子どもにとってもっとも大事なことだと言えます。その力を伸ばすことが、学習面(国語や算数など)や生活面(身辺自立など)での効果的な接し方や教え方につながるのだと思います。


 エルベテークではスタッフ全員が入社前の必読書として、『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』を読んでいます。そして、研修や実習を通して、教育・学習の意義を理解したうえで指導にあたっています。「困難であっても、発達の遅れを乗り越える道筋はある」というのが、学習の意義を大事にしたいという私たちの思いであり、「根気よく学習を続けることによって子どもに必要な力を身につけさせ、伸ばすことができる」と私たちは確信しています。


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