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季刊誌―エルベテーク

2012年 春季号 本はみんなの教室【29】 『ロビンソン・クルーソー』

行動する人間の強さと弱さを教える古典

■紹介する本 『ロビンソン・クルーソー』(上下巻)(デフォー作 平井正訳/岩波文庫)

 無人島を舞台に書かれた冒険小説が現代の私たちに伝えるものはなんでしょうか。

 だいたいのあらすじを知っているだけに、全体までわかったような気がしてその本が伝える本質的な事柄についてあまり意識しない、そうしたケースは結構あるものです。少年少女のための古典的な作品としてよく知られる『ロビンソン・クルーソー』は、そうした類の本ではないでしょうか。そして、あまり紹介される機会のない、後日談のようなエピソードの中に作者デフォーが込めた気持ちをくみとったとき、市民社会の始まりの時期に活躍した彼が時代を超えて現代の私たちへメッセージを送っているように感じられます。

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 船が難破し、無人島に漂着したあと、不運にもめげず知恵と勇気と行動力をバネに自分一人もしくは仲間たちと生活を築いていく、そうした冒険物語はいつの時代も子どもたちに人気です。たとえば、18世紀に書かれた『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ作)がよく知られています。そのほか、海と船と島を舞台にした『宝島』(ロバート・ルイス・スチーブンソン作)も人気の海洋冒険小説です。

 これらの冒険物語と『ロビンソン・クルーソー』が大きく異なる点はなんでしょうか? それは、前者が子ども向けの物語として書かれ出版されたのに対し、『ロビンソン・クルーソー』が当初は大人向けの物語として刊行された点です。

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 『ロビンソン・クルーソー』第1部の大まかなストーリーは、航海への強い欲求を抱いていた主人公の乗船した船が難破し、漂流し、無人島に流れ着いたところから、自分の力で生活の基盤をつくり上げ、新しい仲間とともに島に秩序をもたらし、28年後にようやく故国のイギリスに帰還するまでの記録です。

 言うまでもなく、今日まで読み継がれてきた理由は、主人公を取り巻く困難とそれを乗り越える知恵と勇気と行動力のドラマにあります。まるで大きな荒波が押し寄せる海原を小さな船が上下しながらも必死に航海するかのようです。そして、主人公の思索と行動を通して知恵や勇気や行動力を示すだけでなく、人間が生き延びるために最少限必要なことは何か、それを得るために何をすればいいのかを克明に描いている点がなによりも魅力となっています。

 無人島の海岸に漂着した際、ナイフ1本、パイプ1個、タバコ入れ1個しか持ち合わせていなかった主人公でしたが、すでにその時から前向きの姿勢で事態に対処していきます。

 「しかしどうにかこれでひと安心と、あたりをみまわしてみた。いったいここはどこなのか、次はなにをしたらよいのか、を確かめるためであった」(上巻68ページ)、「このときに思いついたただ一つの打開策は、近くに生えていた、みたところ樅の木のようであるが棘の多い、鬱蒼たる木にのぼって、夜を明かすことであった」(同69ページ)、「いうまでもないことだが、私は使いものになるものとならないものとを確かめるのが、そもそも最初の仕事であった」(同71ページ)、「だが、じっと腕をこまねいて、ないものねだりをしても無意味だと悟った。困りはてれば創意工夫が必要だった」(同)

 といった主人公の思考の進め方が困難を打破する原動力になっているようです。

 主人公は、座礁した船から必要な食糧や服や武器や道具を運び出し、小高い丘の中腹に柵をめぐらし、そこにテントを設置し、生活拠点の建設にとりかかります。暦をつくり、日記をつけ始め、獲物を捕獲しながら、生活に欠かせないこまごまとした道具を自分でつくるのです。

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  興味深いのは、主人公が萎える気持ちを奮い起こす際に良いことと悪いことを比較対照させたことではないかと思います。

 「私は公平に、簿記でいう貸方と借方といった具合に、自分がめぐまれている有利な点と苦しんでいる不利な点とを次のように対照してみた」(上巻92~93ページ)、「毎日同じことを考えこみ、いろいろ思いわずらうことから解放されたいからであった」(同92ページ)

 悪い点として「私はおそろしい孤島に漂着し、救われる望みはまったくない」をあげます。良い点として「だが有難いことに神が浜辺近く船をおし流してくれたため、多くの物資をとりだすことができた。これだけあれば生きているかぎり自分の必要をみたすこともできるし、またなんとか必要なものを手にいれることもできる」をあげます。

 「世界じゅうで最悪の悲境に苦しんだ者として、私が人々にいいたいことは、どんな悲境にあってもそこにはわれわれの心を励ましてくれるなにかがあるということ、良いことと悪いこととの貸借勘定ではけっきょく貸し方のほうに歩があるということ、これである」(上巻94ページ)

 主人公は良い点と悪い点を並べ比較して冷静に自分の現状を認識し、今後の展望をもつようになります。

 「どんな悪いことでもそのなかに含まれている良いことを除外して考えてはいけない。またより悪いこともそれに伴っていることをも忘れてはいけないのだ」(上巻89ページ)という主人公の合理的な処世術が現れた場面です。

 こうして、ほとんどの出来事は次のように展開していきます。主人公は相当なダメージを受ける、あるいは大きな困難に直面する。しかし、絶望に屈せず落ち着いてよく調べてみると、たしかにダメージはあり、大きな困難があるものの、致命的なものではなく、事態が現在の状態でとどまるならば、あとは自分の努力と自然の力によってなんとかなりそうだ。たしかに機転をきかして実際に行動してみると、試行錯誤の中から新しい展開が生まれ、ダメージを最小限に食い止め、困難を切り開く道筋が見えてきた。やがてわずかばかりの恩恵が得られた。また、深刻な困難にしても、理想的な状態は追い求めず、なんとかしようと悲観せずにできることから始めていった結果、失敗はあったものの、偶然も手伝って良い結果を得ることができ、困難を乗り越えようという目的はなんとか達せられた。心に喜びがもたらされた。そんな流れです。

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 合理的な考え方の中から信仰や道徳についての揺るぎない態度が生まれた点にも目を向けたいと思います。普通の生活の貴さを説いた父親の願いを無視して航海に身を投げた主人公ですから、最初は神なき世界に生きていましたが、無人島でさまざまな恵みに出会うとともに病気という災難に直面するに及んで、その背後にある摂理を感じるようになりました。そして、聖書の言葉を口にし、祈りを捧げずにはいられなくなったのです。

 信仰を軸に生活と仕事を組み立てようとする18世紀イギリスを生きるキリスト教徒(特に清教徒)の姿がここに反映されています。

 神への帰依を宣言した主人公は島の探検に出かけ、別荘をつくるなど、以前にも増してよりいっそう精力的に行動します。稲や大麦の栽培のほかヤギの飼育にもとりかかりました。

 そして、次のような境地に至ります。

 「自分の生活の明るい面をより強くみ、暗い面はあまりみないすべを私は覚えていた。なくて困っているものよりも、現に享有しているものを考えるくせがついていた。こういう考え方がどんなにしみじみとした深い慰めを私に与えてくれたかは、はかり知れないものがあった」(上巻177ページ)

  忠実な召使いのフライデーを得て、主人公が孤独から逃れることができたのは島を離れる数年前のことです。
 島の外からやってきた蛮人を追い払うなどの闘いを経て、島に秩序と平安を残して主人公は島を去ります。

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  物語としてのおもしろさを見れば、第1部こそ『ロビンソン・クルーソー』といっても間違いではないのです。おそらくデフォーは、さまざまな体験記や海洋小説、そして世界地図を参考にこのドラマチックな物語をまとめあげたものと予想されます。なんという想像力であり、構想力でしょう。

 デフォー自身も第2部の冒頭で、「この作品の前の部分が世間の好評をえたのは、まさしく、その題材が驚くべきほど変化に富んでいたことと、その叙述が見事であったこと、によるとされている」(下巻3ページ)と自慢げに書いています。

 ところが、主人公がほぼ10年ぶりに無人島を再び訪れる第2部では、島に残った人々が自分たちの欲望のままにわがままに振る舞い、そのことによって秩序が乱れている状況が紹介されます。

 主人公は聖書と祈りを切り札に人々に接し、徳とともに生きるべきという真理を打開策とします。再び、島に平安をもたらすのです。

 「互いに愛し合い、良き隣人として暮らすことだけはみんなに約束させた。こんなふうにして、私は彼らに別れを告げる準備をしたのであった」(下巻205ページ)

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 『ロビンソン・クルーソー』は、生活の細かな部分まで克明に記しながらひとつのメッセージを発した小説という見方もできるでしょう。つまり、人間は徳に基づき、親や仲間と協力し合って手を動かして働くことによって精神的な満足を得る、もし各々がわがままな振る舞いをすればたちまちに秩序は壊れるというメッセージです。デフォーが第2部、第3部を刊行したのも、このことを強調したかったためではないでしょうか。おそらく人間が人間であるための、宿命のようなシンプルな真理だと思われます。

 きっと子どもは冒険小説としての『ロビンソン・クルーソー』に心を躍らせることでしょう。真理はシンプルなものであっても、やはり説教臭さが拭い切れません。ですから、『ロビンソン・クルーソー』を読む子どもを前にしたら、そっとデフォーからのメッセージをわかりやすく教え聞かせるといいでしょう。18世紀のイギリスという、私たちの現代社会につながる市民社会の始まりの時期についてもいくつかの情報を与えるといいかもしれません。私たちの生活や仕事、考え方に依然として影響を及ぼしている部分が少なくないからです。

 本はそのようにして効果的に読むことができるのだと思います。


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